・・・少しの我慢だ、我慢しろ我慢しろ、と独り言をいって寝てしまう。寝てしまう時は善いが、寝られないでまた考え出す事がある。元来我慢しろと云うのは現在に安んぜざる訳だ――だんだん事件がむずかしくなって来る――時々やけの気味になるのは貧苦がつらいのだ・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・と兄が独り言のようにつぶやく。弟は「母様に逢いたい」とのみ云う。この時向うに掛っているタペストリに織り出してある女神の裸体像が風もないのに二三度ふわりふわりと動く。 忽然舞台が廻る。見ると塔門の前に一人の女が黒い喪服を着て悄然として立っ・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・気障な墓だなんて独り言いって居やがらア。オヤ恐ろしい音をさせアがった。石塔の石を突きころがしたナ。失敬千万ナ。こんな奴が居るから幽霊に出たくなるのだ。ちょっと幽霊に出てあいつをおどかしてやろうか。しかし近頃は慾の深い奴が多いから、幽霊が居る・・・ 正岡子規 「墓」
・・・ 丸い肥った顔と、清んだ朗な高い声、小さい独り言と、太陽のような大笑い。 自分は顔をぎぅーっと挾んだ二つの手が、急にパチパチと頬ぺたを叩く心持さえまざまざと思い浮べた。 貴方は小さい、いい妹を御持ちですか? 土の臭いとも乳の・・・ 宮本百合子 「無題(一)」
出典:青空文庫