・・・ 頭に手を当てて、膝の上を見て、ラジオ欄の「独唱と管弦楽、杉山節子、伴奏大阪放管」という所を見ると、「杉山節子……? そうだ、たしかそんな名前だった。大阪放管? じゃ、大阪からの放送だ」 と、呟いていたが、やがてそわそわと起ち上・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・カルメンの中の独唱でも、管弦楽の進行の波頭が指揮者のふりかざした両腕から落ちかかるように独奏者のクローズアップに推移して同時にその歌を呼出すといったような呼吸の面白さは、実地では却って容易に味わわれないものである。こういう意味では音楽自身よ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1-13-25])」
・・・これに反してヤニングスの場合は彼の「独唱」にただ若干の家庭楽器の伴奏をつけたかのような感じがしないでもない。そういう伴奏としてはしかしそれぞれの助演者もそれ相当の効果を見せてはいるようである。 十五 乙女心三人姉妹・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・これに反して環夫人の独唱のごときは、ただきわめて不愉快なる現実の暴露に過ぎない。 絵画が写実から印象へ、印象から表現へ、また分離と構成へ進んだように映画も同じような道をすすむのではないか。そうして最後に生き残る本然の要素は結局自分の子供・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・前には人前に出るとじきにはにかんだりしたのが、校友会で下手な独唱を平気でするようになった。なんだか自分の性情にまで、著しい変化の起った事は、自分でもよくわかったし、友達などもそう云っていた。しかし、それはただ表面に現われた性行の変りに過ぎぬ・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・これは歌う人が口をあまり十分に開かず、唇もそんなに動かさずに、口の中で歌っているせいかもしれない、始めの独唱のときは、どの人が歌っているか、ちょっと見ては分らないようであった。 これもおそらく多くの現代人にはあまりに消極的な唱歌のように・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・下の食堂では独唱会があった。四月十五日 自分らの隣の椅子へ子供づれの夫婦が来た。母親がどこかへ行ってしまうと、子供はマーンマーマーンマーと泣き声を出す。父親が子守り歌のようなものを歌ったり、口笛を吹いたりしても効能がない。四月十・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ 会堂内で葬式のプログラムの進行中に、突然堂の一隅から鋭いソプラノの独唱の声が飛び出したので、こういう儀式に立ち会った経験をもたない自分はかなりびっくりした。あとで聞いたら、その独唱者は音楽学校の教師のP夫人で、故人と同じスカンジナビア・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
・・・ やがて、レコードのレッテルの色で、メルバの独唱だのアンビル・コーラスだのいろいろ見分けがつくようになり、しまいには夕飯のあとでなど「百合ちゃん、チクオンキやる」と立って変な鼻声で、しかも実に調子をそっくり「マイマイユーメ、テンヒンホー・・・ 宮本百合子 「きのうときょう」
・・・ 声高な独唱につれて、無意識に口をそろえ声を張りあげて すぐよかに、いみじかれ わが乙女子よ……。と合唱の繰返しをつけている最中に、彼女にはフト、その「すぐよか」「いみじき」という言葉の意味が何だかはっきり分らない・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
出典:青空文庫