・・・(半ば独言ははあ、あの離座敷に隠れておったわい。主人。誰が。家来。何だかわたくしも存じません。厭らしい奴が大勢でございます。主人。乞食かい。家来。如何でしょうか。主人。そんなら庭から往来へ出る処の戸を閉めてしまって、お前・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ 馬鹿らしい独言を云って机の上に散らばった原稿紙や古ペンをながめて、誰か人が来て今の此の私の気持を仕末をつけて呉れたらよかろうと思う。 未だお昼前だのに来る人の有ろう筈もなしと思うと昨日大森の家へ行って仕舞ったK子が居て呉れたら・・・ 宮本百合子 「秋風」
・・・ 芳子さんは、お包を抱えながら、思わず独言を云いました。何でお呼びになるのか、一向見当がつきません。けれども、何も悪い事をした覚えのない芳子さんは、ちっとも不思議にも、厭にも思いませんでした。 芳子さんはお包みが出来ると、政子さんに・・・ 宮本百合子 「いとこ同志」
・・・ インガが独言のように云った。「――間違った!……自分をあざむいた!」「簡単に生きて行きゃいいのさ!」 メーラが、またお座なり哲学を並べた。「むずかしく考えなさんなよ!」 インガはメーラのようには考えぬ。 彼女に・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・と、溜息をついた。 黙って字を眺め、首をねじ向けて後に中腰をしている母の顔を仰見た。 母は、私のおかっぱの頭越しにやはり字を見、「――変な形に出来たこと」と独言した。「さあ、今度は百合ちゃんの番。書いて御覧。下手でもいいのよ・・・ 宮本百合子 「雲母片」
・・・ そのような感情をもって観ていると、人のよい農夫は、自分の農夫であることや、無智であることを自覚し、学生に対して常にひかえ目であるのだが、どうしても衷心からの動きを制しかねた風で半ば独言のように云った。「それでもはあ、民衆一体の仕合わせ・・・ 宮本百合子 「北へ行く」
・・・と、自信のない独言をした。然し、確に昨夜、食事に小幡をこの部屋へ案内する前、雑誌や新聞をこの隅に重ねた時、間に、フランス鞣に真珠貝のボタンのついた四角い小銭入れが在った覚えがある。考え出そうと頭を傾げ乍ら戸棚の奥まで徒に探した愛は、急に・・・ 宮本百合子 「斯ういう気持」
・・・と独言のように云い、スリッパのうしろを鳴らしながら室を出て行った。高等主任だけが机の下にスリッパをおいていて、室にいるときはそれと穿きかえるのである。 留置場へ戻され、扉があいたと同時に第一房の前の人だかりが目に映り、自分は、もう駄・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・と、りよは独言のように云って、足を早めて部屋へ引き返した。 部屋の戸を内から締めたりよは、葛籠の蓋を開けた。先ず取り出したのは着換の帷子一枚である。次に臂をずっと底までさし入れて、短刀を一本取り出した。当番の夜父三右衛門が持っていた脇差・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・工面が悪いのかしら。」独言のように私は云った。「そうじゃございません。お泊になってから少し立ちますと、今なら金があるからと仰ゃって、今月末までの勘定を済ませておしまいになった位でございます。」もう十一月に入っているから、F君は先月青年団・・・ 森鴎外 「二人の友」
出典:青空文庫