・・・と独語つところへ、うッそりと来かかる四十ばかりの男、薄汚い衣服、髪垢だらけの頭したるが、裏口から覗きこみながら、異に潰れた声で呼ぶ。「大将、風邪でも引かしッたか。 両手で頬杖しながら匍匐臥にまだ臥たる主人、懶惰にも眼ばかり動かし・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・とかなんとか独語を言い乍ら、其日の糧にありついたことであろう。 島崎藤村 「朝飯」
・・・ 学士は半ば独語のように言った。 正木大尉が桑畠の石垣を廻ってニコニコしながら歩いて来た。皆な連立って教員室の方へ行って見ると、桜井先生は早くから来て詰掛けていた。先生は朝のうちに一度中棚まで歩きに行って来たとも言った。 塾の庭・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ と答えたが、やがて独語でも言うように、「旦那様は今日はどう遊ばしたんですか……奥様の御召物が残っていないかなんて、ついぞそんなことを御尋ねに成ったことも無いのに……」 こう言って見て、手に持った魚の皿を勝手の方へ運んで行った。・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・――こう相川は独語のように言って、思うままに一日の残りを費そう、と定めた。 沈鬱な心境を辿りながら、彼は飯田町六丁目の家の方へ帰って行った。途々友達のことが胸に浮ぶ。確に老けた。朝に晩に逢う人は、あたかも住慣れた町を眺めるように、近過ぎ・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・ファウストは、この人情の機微に就いて、わななきつつ書斎で独語しているようであります。ことにも、それが芸術家の場合、黒煙濛々の地団駄踏むばかりの焦躁でなければなりません。芸術家というものは、例外なしに生れつきの好色人であるのでありますから、そ・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ふと気が付いて見るといつの間に這入って来たか枕元に端然とこの岡村先生が坐っていたので、吃驚してしまって、そうして今の独語を聞かれたのではないかと思って、ひどく恥ずかしい思いをした。しかし何を言っていたかは今少しも覚えていない。ただ恥ずかしか・・・ 寺田寅彦 「追憶の医師達」
・・・ここに黄ばんだしみのあるのも鼠のいたずらじゃないかしらんなど独語を云いながら我も手伝うておおかた三宝の清めも済む。取散らした包紙の黴臭いのは奥の間の縁へほうり出して一ぺん掃除をする。置所から色々の供物を入れた叺を持ってくる。父上はこれに一々・・・ 寺田寅彦 「祭」
・・・それから暫く山口の高等学校にいたが、遂に四高の独語教師となって十年の歳月を過した。金沢にいた十年間は私の心身共に壮な、人生の最もよき時であった。多少書を読み思索にも耽った私には、時に研究の便宜と自由とを願わないこともなかったが、一旦かかる境・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・そして尚ボードレエルの言うように、僕もまたそのように、都会の雑沓の中をうろついたり、反響もない読者を相手にして、用にも立たぬ独語などをしゃべって居る。 町へ行くときも、酒を飲むときも、女と遊ぶときも、僕は常にただ一人である。友人と一緒に・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
出典:青空文庫