・・・詰将棋の名人は、詰手を考える時、まず第一の王手から考えるようなことはしない。盤のどのあたりで王が詰まるかと考える。考えるというよりも、最後の詰み上った時の図型がまず直感的に泛び、そこから元へ戻って行くのである。そして最初の王手を考えるのだが・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・合駒を持たぬ相手にピンピンと王手王手を掛けるようなこともした。いたわる積りがかえってその人の弱みをさらけ出した結果ともなってしまったのだ。その人は字は読めぬ人だ、よしんば読めても文芸雑誌など手にすることもあるまいなどというのは慰めにも弁解に・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・普通の小説というものが、将棋だとするならば、あいつの書くものなどは、詰将棋である。王手、王手で、そうして詰むにきまっている将棋である。旦那芸の典型である。勝つか負けるかのおののきなどは、微塵もない。そうして、そののっぺら棒がご自慢らしいのだ・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・だから美の標準のみを固執して真の理想を評隲するのは疝気筋の飛車取り王手のようなものであります。朝起を標準として人の食慾を批判するようなものでしょう。御前は朝寝坊だ、朝寝坊だからむやみに食うのだと判断されては誰も心服するものはない。枡を持ち出・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
出典:青空文庫