・・・継母の腹は言うまでもなく姉のお絹を外に出して自分の子、妹のお松を後に据えたき願い、それがあるばかりにお絹と継母との間おもしろからず理屈をつけて叔父幸衛門にお絹はあずけられかれこれ三年の間お絹のわが家に帰りしは正月一度それも機嫌よくは待遇われ・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・少なくともそこにはかわいた、煩鎖な概念的理窟や、腐儒的御用的講話や、すべて生の緑野から遊離した死骸のようなものはない。しかし文芸はその約束として個々の体験と事象との具象的描写を事とせねばならぬ故、人生全体としての指導原理の探究を目ざすことは・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・ 田川は、これまで生きてきた日本の生活よりも、また、北満の河の北方側の生活よりも、河のかなたの生活の方がはるかにいいと心から思うことがたびたびあった。理屈ではなかった。街を歩いていると彼と同年くらいのロシアの青年たちの暗い影がちっともな・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・曜日には孟子、火曜日には詩経、水曜日には大学、木曜日には文章規範、金曜日には何、土曜日には何というようになって居るので、易いものは学力の低い人達の為、むずかしいものは学力の発達して居るもののためという理窟なのです。それで順番に各自が宛がわれ・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・これは百の理窟以上です。 娘は次の日から又居なくなり、そして今度という今度は刑務所の方へ廻ってしまったのでした。私は今でもあの娘の身体のきずを忘れることが出来ません。 中山のお母さんはそういって、唇をかんだ。――一九三一・一一・・・・ 小林多喜二 「疵」
・・・この弟のほうの子供は、宿屋の亭主でもだれでもやりこめるほどの理屈屋だった。 盆が来て、みそ萩や酸漿で精霊棚を飾るころには、私は子供らの母親の位牌を旅の鞄の中から取り出した。宿屋ずまいする私たちも門口に出て、宿の人たちと一緒に麻幹を焚いた・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・それはわたしが途中から出てあの座に雇われたのだから、お前さんの方でわたしを撃つのなら、理屈があるわね。お前さんだって、わたしがあの地位に坐ったのを怨まないわけにはいかないでしょう。それはわたしのせいじゃないのだけれど。事によったらお前さんの・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・たいものだという希望に胸を焼かれて、これまた老いの物好きと、かの貧書生などに笑われるのは必定と存じますが、神よ、私はただ、大きい山椒魚を見たいのです、人間、大きいものを見たいというのはこれ天性にして、理窟も何もありやせん! それは、どのよう・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・ 仮りにこれが五拾銭でなくて五拾円か五百円の壷であったら、どうだろうという事を、いささか臆病な心持で考えてみた。理窟は同じでも、実際は少しちがうような気がした。この方だと却って事柄がずっと簡単にはこびそうな気もした。正当不正当の問題が、・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・それに弱者や低能者にはそれ相当の理窟と主張があって、それに耳を傾けていれば際限がないのであった。 辰之助もその経緯はよく知っていた。今年の六月、二十日ばかり道太の家に遊んでいた彼は、一つはその問題の解決に上京したのであったが、道太は応じ・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫