・・・作の力、生命を掴むものが本当の批評家である。」と云う説があるが、それはほんとうらしい嘘だ。作の力、生命などと云うものは素人にもわかる。だからトルストイやドストエフスキイの翻訳が売れるのだ。ほんとうの批評家にしか分らなければ、どこの新劇団でも・・・ 芥川竜之介 「江口渙氏の事」
・・・一つの種子の生命は土壌と肥料その他唯物的の援助がなければ、一つの植物に成育することができないけれども、そうだからといって、その種子の生命は、それが置かれた環境より価値的に見て劣ったものだということができないのと同じことだ。 しかるに空想・・・ 有島武郎 「想片」
・・・B 歌のような小さいものに全生命を託することが出来ないというのか。A おれは初めから歌に全生命を託そうと思ったことなんかない。何にだって全生命を託することが出来るもんか。おれはおれを愛してはいるが、そのおれ自身だってあまり信用しては・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・ 人の妻と、かかる術して忍び合うには、疾く我がためには、神なく、物なく、父なく、母なく、兄弟なく、名誉なく、生命のないことを悟っていたけれども、ただ世に里見夫人のあるを知って、神仏より、父より、母より、兄弟より、名誉より、生命よりは便に・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ 僕の今を率直にいえば、妻子が生命の大部分だ。野心も功名もむしろ心外いっさいの欲望も生命がどうかこうかあってのうえという固定的感念に支配されているのだ。僕の生命からしばらくなりとも妻や子を剥ぎ取っておくならば、僕はもう物の役に立たないも・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・僕はそのふくれている様子を想像出来ないではないが、いりもしない反動心が起って来ると同時に、今度の事件には僕に最も新らしい生命を与える恋――そして、妻には決して望めないの――が含んでいるようにも思われた。それで、妾にしても芸者をつれて帰るかも・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・尺寸の小幀でも椿岳一個の生命を宿している。古人の先蹤を追った歌舞伎十八番のようなものでも椿岳独自の個性が自ずから現われておる。多い作の中には不快の感じを与えられるものもあるが、この不快は椿岳自身の性癖が禍いする不快であって、因襲の追随から生・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・けれども、私が考えてみると、今日第一の欠乏は Life 生命の欠乏であります。それで近ごろはしきりに学問ということ、教育ということ、すなわち Cultureということが大へんにわれわれを動かします。われわれはドウしても学問をしなければならぬ・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・みんなの希望まで、自分の生命の中に宿して、大空に高く枝を拡げて、幾万となく群がった葉の一つ一つに日光を浴びなければならないと思いましたが、それはまだ遠いことでありました。 最初、この木の芽の生えたのを見つけたものは、空を渡る雲でありまし・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・しかし、平常は無口でも、いざとなればべらべらとこなして行くのが年期を入れた俳優の生命で、文壇でも書きにくい大阪弁を書かせてかなり堂に入った数人の作家がいる。 しかし、その作家たちの書いている大阪弁を読むと、同じ書き方をしている作家は一人・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
出典:青空文庫