・・・ ――一生涯! 一生涯、俺は呪ってやる、たといどんなに此先の俺の生涯が惨めでも、又短かくても、俺は呪ってやる。やっつけてやる、俺だけの苦しみじゃない、何十、何百、何万、何億の苦しみだ。「たとえ、お前が裁判所に持ち出したって、こっちは一億・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・もしおめえの云うような値打の物なら、二人で生涯どんな楽な暮らしでも出来るのだ。どれ、もう一遍おれに見せねえ。」 爺いさんは目を光らせた。「なに、おれの宝石を切るのだと。そんな事が出来るものか。それは誰にも出来ぬ。第一おれが不承知だ。こん・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・左れば人生の苦楽相半し、其歓楽の一方は男子の専有にして、女子には生涯苦労の一方のみを負担せしめんとするか、無理無法も亦甚だしと言う可し。左なきだに凡俗社会の実際を見れば、婦人は内を治め男子は外を勉むると言う。其内外の趣意を濫用して、男子の戸・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・よし自分の頭には解っていても、それを口にし文にする時にはどうしても間違って来る、真実の事はなかなか出ない、髣髴として解るのは、各自の一生涯を見たらばその上に幾らか現われて来るので、小説の上じゃ到底偽ッぱちより外書けん、と斯う頭から極めて掛っ・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・己は何日もはっきり意識してもいず、また丸で無意識でもいず、浅い楽小さい嘆に日を送って、己の生涯は丁度半分はまだ分らず、半分はもう分らなくなって、その奥の方にぼんやり人生が見えている書物のようなものになってしまった。己の喜だの悲だのというもの・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・けれども、その場面場面で一杯にやっているだけで、桃割娘から初まる生涯の波瀾の裡を、綿々とつらぬき流れてゆく女の心の含蓄という奥ゆきが、いかにも欠けている。だから、いきなり新宿のカフェーであばずれかかった女給としておふみが現れたとき、観客は少・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・亡くなる少し前に、「弥一右衛門奴はお願いと申すことを申したことはござりません、これが生涯唯一のお願いでござります」と言って、じっと忠利の顔を見ていたが、忠利もじっと顔を見返して、「いや、どうぞ光尚に奉公してくれい」と言い放った。 弥一右・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・この貴夫人と云う詞は、女の生涯のうちある五年間を指すに定れり。男をば単に男と記す。その人いわゆる男盛りと云う年になりたれば。貴夫人。なんだかもう百年くらいお目に懸からないようでございますね。男。ええ。そんなに御疎遠になったのを残念に・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「辻馬車」
・・・だが、彼の生涯を通して、アングロサクソンのように彼を苦しめた田虫もまた、同時にそのときの一兵卒の銃から肉体へ移って来た。 ナポレオンの田虫は頑癬の一種であった。それは総ゆる皮膚病の中で、最も頑強な痒さを与えて輪郭的に拡がる性質をもってい・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・その犯罪、その生涯の事を思ったのである。 丁度浮木が波に弄ばれて漂い寄るように、あの男はいつかこの僻遠の境に来て、漁師をしたか、農夫をしたか知らぬが、ある事に出会って、それから沈思する、冥想する、思想の上で何物をか求めて、一人でいると云・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
出典:青空文庫