・・・ 婆さんはこの時、滝登の懸物、柱かけの生花、月並の発句を書きつけた額などを静にみまわしたから、判事も釣込まれてなぜとはなくあたりを眺めた。 向直って顔を見合せ、「この家は旦那様、停車場前に旅籠屋をいたしております、甥のものでも私・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ ふりむいて、みると、いつのまにか、いまひとりの青年が、サロンのまんなかに立っていて、ふところ手のまま、入口の右隅にある菊の生花を見つめている。「菊は、むずかしいからねえ。」Kは、生花の、なんとか流の、いい地位にいた。「ああ、古・・・ 太宰治 「秋風記」
・・・ まず手近なところでたとえば生け花の芸術を考えてみる。この場合は簡単に口で言われるような「主題」はないかもしれないが、花を生ける人の潜在意識の中に隠れたテーマがあってこそ一瓶の花が生け上げられるのである。そのテーマを表現すべき「言葉」と・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・たとえば、音楽の演奏会の批評などは、その時に聞かなかった聴衆にはナンセンスである。生け花展覧会の批評などもややこれに類している。映画の批評となると、まさかそれほどでもないかもしれないが、大多数の映画の大衆観客にとっての生命はひと月とはもたな・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・ 西川一草亭の生花の展覧会などはある意味で花やくだものと容器とのモンタージュの展覧会であるが、あれをもっと拡張したような展観方法があってもいいと思う。 器物の美にはもちろんそれ自身に内在する美があるには相違ないが、それを充分に発揮さ・・・ 寺田寅彦 「青磁のモンタージュ」
・・・ 盆栽生け花のごときも、また日本人にとっては庭園の延長でありまたある意味で圧縮でもある。箱庭は言葉どおりに庭園のミニアチュアである。床の間に山水花鳥の掛け物をかけるのもまたそのバリアチオンと考えられなくもない。西洋でも花瓶に花卉を盛りバ・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・ 俳諧は截断の芸術であることは生花の芸術と同様である。また岡倉氏が「茶の本」の中に「茶道は美を見いださんがために美を隠す術であり、現わす事をはばかるようなものをほのめかす術である」と言っているのも同じことで、畢竟は前記の風雅の道に立った・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・色彩や形態に関するあらゆる抽象的な概念や言葉を標準にして比較すれば造花と生花の外形上の区別は非常に困難な不得要領なものになってしまう。「一方は死んでいるが他方は生きている」という人があるかもしれない。しかしそれはただ一つの疑問を他の言葉で置・・・ 寺田寅彦 「病室の花」
・・・そうしてまたこのモンテーという言葉自身が暗示するように、たとえば日本の生花の芸術やまた造庭の芸術でも、やはりいろいろのものを取り合わせ、付け合わせ、モンタージュを行なって、そうしてそこに新しい世界を創造するのであって、その芸術の技法には相生・・・ 寺田寅彦 「ラジオ・モンタージュ」
・・・襖を越した次の座敷には薄暗い上にも更に薄暗い床の間に、極彩色の豊国の女姿が、石州流の生花のかげから、過ぎた時代の風俗を見せている。片隅には「命」という字を傘の形のように繋いだ赤い友禅の蒲団をかけた置炬燵。その後には二枚折の屏風に、今は大方故・・・ 永井荷風 「妾宅」
出典:青空文庫