・・・私の家は用心が悪う御座いますから」と自分が言うを老人は笑って打消し、「大丈夫だよ、今夜だけだもの。私宅だって金庫を備えつけて置くほどの酒屋じゃアなし、ハッハッハッハッハッハッ。取られる時になりゃ私の処だって同じだ。大井様は済んだとして、・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・「お源さん大変顔色が悪いね、どうか仕たの」「昨日から少し風邪を引たもんですから……」「用心なさいよ、それは不可い」 お徳は「お早う」と口早に挨拶したきり何も言わない、そしてお源が炭俵の並べてないのに気が着き顔色を変えて眼をぎ・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・そして、静かに、そこらにある車や、木切れなどを蹴散らさないように用心しいしい歩んだ。栗毛の肉のしまった若々しい馬は全速力で馳せのがれて来たため、かなり疲れて、呼吸がはずんでいた。 裏通りの四五軒目の、玄関とも、露台ともつかないような入口・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・ 兵営から病院へ、凍った丘の道を栗本は辷らないように用心しい/\登ってきた。負傷した同年兵たちの傷口は、彼が見るたびによくなっていた。まもなく、病院列車で後送になり、内地へ帰ってしまうだろう。――病院の下の木造家屋の中から、休職大佐の娘・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・ ギンはそれからは毎日気をつけて、そんなことにならないように、要心していました。 それから間もなく、ギン夫婦が名つけの祝いによばれていった赤ん坊が、ひどい病気をして死んでしまいました。 ギン夫婦はそのおとむらいにいきました。そう・・・ 鈴木三重吉 「湖水の女」
・・・そろそろ、この辺から私の小説になりかけて居りますから、読者も用心していて下さい。 私は、この「女の決闘」という、ほんの十頁ばかりの小品をここまで読み、その、生きてびくびく動いているほどの生臭い、抜きさしならぬ描写に接し、大いに驚くと共に・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・槍の名人の子孫に対して私は極度に用心し、かじかんでしまったのである。「あのお写真は、」部屋の長押に、四十歳くらいの背広を着た紳士の写真がかけられていたのである。「どなたです。」まずい質問だったかな? と内心ひやひやしていた。「あら、・・・ 太宰治 「佳日」
・・・ われわれ先生に親しかった人々はよほど用心していないととかく自分等だけの接触した先生の世界の一部分を、先生の全体の上に蔽い被せてしまって、そうして自分等の都合のいいような先生を勝手に作り上げようとする恐れがある。意識的には無我の真情から・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・よほど遠くから出て来るものと見え、いつでも鞋に脚半掛け尻端打という出立で、帰りの夜道の用心と思われる弓張提灯を腰低く前で結んだ真田の三尺帯の尻ッぺたに差していた。縁日の人出が三人四人と次第にその周囲に集ると、爺さんは煙管を啣えて路傍に蹲踞ん・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・「婆さんが云うには、あの鳴き声はただの鳴き声ではない、何でもこの辺に変があるに相違ないから用心しなくてはいかんと云うのさ。しかし用心をしろと云ったって別段用心の仕様もないから打ち遣って置くから構わないが、うるさいには閉口だ」「そんな・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
出典:青空文庫