・・・これらの木橋を有する松江に比して、朱塗りの神橋に隣るべく、醜悪なる鉄のつり橋を架けた日光町民の愚は、誠にわらうべきものがある。 橋梁に次いで、自分の心をとらえたものは千鳥城の天主閣であった。天主閣はその名の示すがごとく、天主教の渡来とと・・・ 芥川竜之介 「松江印象記」
・・・子を作り、財を貯え、安逸なる一町民となるも、また人生の理想であると見られぬことはない。普通な人間の親父なる彼が境涯を哀れに思うなどは、出過ぎた料簡じゃあるまいか。まずまず寝ることだと、予は雨戸を閉めようとして、外の空気の爽かさを感じ、又暫く・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・京から、のこのこやって来て、この吉田の老若男女ひとしく指折り数えて待っていた楽しい夜を、滅茶滅茶にした雨男は、ここにいます、ということを、この女中さんにちょっとでも告白したならば、私は、たちまち吉田の町民に袋たたきにされるであろう。私は、や・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・昔の徳川時代の江戸町民は長い経験から割り出された賢明周到なる法令によって非常時に処すべき道を明確に指示され、そうしてこれに関する訓練を充分に積んでいたのであるが、西洋文明の輸入以来、市民は次第に赤ん坊同様になってしまったのである。考えるとお・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・昔の徳川時代の江戸町民は永い経験から割り出された賢明周到なる法令によって非常時に処すべき道を明確に指示され、そうしてこれに関する訓練を十分に積んでいたのであるが、西洋文明の輸入以来、市民は次第に赤ん坊同様になってしまったのである。考えると可・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・臼杵へ行くと、そこでは全町民強制種痘をしたという。まして、長崎へ行くのなら危険此上ないというK氏の言葉で、計らず臼杵町費の一端を掠め、S氏の種痘を受けた。私のは一日痒くそれきり。Yのは、吸収がよく怪しいと思っていると、十四五年ぶりの植疱瘡で・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・ 然し郡山の町民は或優越を感じて居るらしい。今日来た郡山の新聞記者は、明にその傾向を語ると共に、そう云う一つの変動が起った場合に余波を受けて起る箇人的野心、或は、人間の本能的功名心を示して居る。 彼は、政治記者である。 彼の云う・・・ 宮本百合子 「日記・書簡」
出典:青空文庫