・・・その逞しさに畏敬の念すら抱いた。「まるで大阪みたいな奴だ」 所が、きけばその青年は一種の飢餓恐怖症に罹っていて、食べても食べても絶えず空腹感に襲われるので、無我夢中で食べているという事である。逞しいのは食慾ではなく、飢餓感だったのだ・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・ 思えば横光利一にとどまらず、日本の野心的な作家や新しい文学運動が、志賀直哉を代表とする美術工芸小説の前にひそかに畏敬を感じ、あるいはノスタルジアを抱き、あるいは堕落の自責を強いられたことによって、近代小説の実践に脆くも失敗して行ったの・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・私は座談会に出席して一言も喋らないような人を畏敬しているのである。女を口説くにも「唖の一手」の方が成功率が多い。議論する時は、声の大きい方が勝ちだというのは一応の真理だが、私は一言も喋らずに黙っている方が勝つということを最近発見した。口は喋・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・ 室の下等にして黒く暗憺なるを憂うるなかれ、桂正作はその主義と、その性情によって、すべてこれらの黒くして暗憺たるものをば化して純潔にして高貴、感嘆すべく畏敬すべきものとなしているのである。 彼は例のごとくいとも快活に胸臆を開いて語っ・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・ 織田信長が今川を亡ぼし、佐木、浅井、朝倉をやりつけて、三好、松永の輩を料理し、上洛して、将軍を扶け、禁闕に参った際は、天下皆鬼神の如くにこれを畏敬した。特に癇癖荒気の大将というので、月卿雲客も怖れかつ諂諛して、あたかも古の木曾義仲の都・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・として、畏敬するのであるから、奇妙である。 鴎外だって、嘲っている。鴎外が芝居を見に行ったら、ちょうど舞台では、色のあくまでも白い侍が、部屋の中央に端坐し、「どれ、書見なと、いたそうか。」と言ったので、鴎外も、これには驚き閉口したと笑っ・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・私は人の富や名声に対しては嘗つて畏敬の念を抱いた事は無いが、どういうわけか武術の達人に対してだけは、非常に緊張するのである。自分が人一倍、非力の懦弱者であるせいかも知れない。私は小坂氏一族に対して、ひそかに尊敬をあらたにしたのである。油断は・・・ 太宰治 「佳日」
・・・と言って巨躯をゆさぶって立ち上り、その小山の如きうしろ姿を横目で見て、ほとんど畏敬に近い念さえ起り、思わず小さい溜息をもらしたものだが、つまりその頃、日本に於いてチャンポンを敢行する人物は、まず英雄豪傑にのみ限られていた、といっても過言では・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・ 掌を返すが如くその人を賞讃し、畏敬の身振りもいやらしく、ひそかに媚びてみつぎものを送ったり何かするのだ。堂々、袴をはいて出席し、大演説、などといきり立ってみるのだが、私は、駄目だ。人に迷惑を掛けている。善い作品を書いていない。みんな、ごま・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・コレラ一万ノ正直、シカモ、バカ、疑ウコトサエ知ラヌ弱ク優シキ者、キミヲ畏敬シ、キミノ五百枚ノ精進ニ魂消ユルガ如ク驚キ、ハネ起キテ、兵古帯ズルズル引キズリナガラ書店ヘ駈ケツケ、女房ノヘソクリ盗ンデ短銃買ウガ如キトキメキ、一読、ムセビ泣イテ、三・・・ 太宰治 「創生記」
出典:青空文庫