二年の留学中ただ一度倫敦塔を見物した事がある。その後再び行こうと思った日もあるがやめにした。人から誘われた事もあるが断った。一度で得た記憶を二返目に打壊わすのは惜しい、三たび目に拭い去るのはもっとも残念だ。「塔」の見物は一・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・突然文部省から英国へ留学をしてはどうかという内談のあったのは、熊本へ行ってから何年目になりましょうか。私はその時留学を断わろうかと思いました。それは私のようなものが、何の目的ももたずに、外国へ行ったからと云って、別に国家のために役に立つ訳も・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・来た頃は留学中の或教授の留守居というのであったが、遂にここに留まることとなり、烏兎怱々いつしか二十年近くの年月を過すに至った。近来はしばしば、家庭の不幸に遇い、心身共に銷磨して、成すべきことも成さず、尽すべきことも尽さなかった。今日、諸君の・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・この頃は役者が西洋へ留学して、農学士が植木屋になるのだからネ。」「オイオイ君ソップがさめるヨ。」「なるほどこれは旨い。病室で飲むソップとは大違いだ。」「寝台附の車というのはこれだな。こんな風に寐たり起きたりしておれば汽車の旅も楽なも・・・ 正岡子規 「初夢」
・・・ 河合栄治郎氏が余程以前アメリカに留学しておられた時分、友人であった一人のロシア生れの女性が、非常によく両性の友人としての交際に訓練されていて、そのために氏は多くのことを学び、男と女との間に友情がまっとうされるためには守るべきいろいろの・・・ 宮本百合子 「異性の友情」
・・・声楽と言ってもJ学園から始め留学させられていたので、本当の芸術家ではなくてそれは体の形にも現われています。あすこは金持の少し才能のある娘を親ぐるみでおだてて、あっちこっちへ留学させ、とどのつまりは学校のスターを作る流儀だから、始めはそれで行・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ はじめて父が外国留学をしていた時代の若い母の思い出や、それから後私が十七八になるまでの母の生活を回想すると、母が女として耐えて来た様々の困難や時代と境遇との関係から満たされなかった母の希望というようなものが、いろいろと推察される。・・・ 宮本百合子 「母」
・・・後に津田英学塾を設立した津田梅子が、六つの歳に岩倉具視の一行とアメリカへ留学したり上流婦人でも男に劣らない一般教育の基礎を持つ時代があった。今日、明治の先覚的な婦人として我々に伝えられているキリスト教関係の多くの活動的な婦人は、殆ど皆この前・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫