・・・つらいところだ、畜生め! 「鯛の塩焼と聞いちゃ、たまらねえや。」実際、たまらないのである。 他のお客も、ここは負けてはならぬところだ。われもわれもと、その一皿二円の鯛の塩焼を注文する。これで、とにかく一本は飲める。けれども、おやじは無慈・・・ 太宰治 「禁酒の心」
・・・であった。畜生の人間的恩愛を描いたこの悲劇の不思議な世界の不思議な雰囲気も、やはり役者が人形であるがためにかえっていっそう濃厚になり現実的になるからおもしろいのである。 最後に「爆弾三勇士」があったが、これも前に一見した新派俳優のよりも・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・「こ、こん畜生め!」 いきなり、しゃがんで土塊を掴んで投げつけたが、土塊は風の中で粉になってしまった。善ニョムさんは、まったく狂人のように怒り出して、畑の隅へ駈けて行くと天秤棒をとりあげて犬の方へ駈けていった「ち、ちきしょうめ!・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・ 私は真赤になった。畜生! 奴は根こそぎ俺を見抜いてしまやがった。再び私の体中を熱い戦慄が駈け抜けた。 彼女に話させて私は一体どんなことを知りたかったんだろう。もう分り切ってるじゃないか、それによし分らないことがあったにした所で、苦・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・「畜生、畜生、畜生めッ」と、しばらくしてこう叫んだ善吉は、涙一杯の眼で天井を見つめて、布団を二三度蹴りに蹴った。「おや、何をしていらッしゃるの」 いつの間に人が来たのか。人が何を言ッたのか。とにかく人の声がしたので、善吉はびッく・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・罪を懺悔した上で、どうか人間に生れたいと願うた、七日七夜、椽の下でお通夜して、今日満願というその夜に、小い阿弥陀様が犬の枕上に立たれて、一念発起の功徳に汝が願い叶え得さすべし、信心怠りなく勤めよ、如是畜生発菩提心、善哉善哉、と仰せられると見・・・ 正岡子規 「犬」
・・・「誰だ。畜生、そんなこと云うやつは誰だ。」と盗森は咆えました。「黒坂森だ。」と、みんなも負けずに叫びました。「あいつの云うことはてんであてにならん。ならん。ならん。ならんぞ。畜生。」と盗森はどなりました。 みんなももっともだ・・・ 宮沢賢治 「狼森と笊森、盗森」
・・・ 畜生! 夜もねねえでかせいだんなあ何のためだ、ひとう馬鹿にしてけつかる」 オイオイと号泣して、彼女はよろける。「糞じじいに鼻たらし嫁なぐさませるためじゃあねえぞ!」 すると、勇吉は、粗朶火を持たない左の手で、怒り猛る仁王のよう・・・ 宮本百合子 「田舎風なヒューモレスク」
・・・「おぬしは畜生じゃから、知らずにおるかも知れぬが、おぬしの頭をさすって下されたことのある殿様は、もうお亡くなり遊ばされた。それでご恩になっていなされたお歴々は皆きょう腹を切ってお供をなさる。おれは下司ではあるが、御扶持を戴いてつないだ命・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・「何だ、こんな事で埋め合わせをするのか、畜生め。」私は仕方なく三等待合室へはいって行った。見ると質朴な田舎者らしい老人夫婦や乳飲み児をかかえた母親や四つぐらいの女の子などが、しょんぼり並んで腰を掛けている。朝からそのままの姿でじっとしていた・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
出典:青空文庫