・・・「畜生! 何言やがる」 お光はいきなり小机の上の香炉を取って、為さんの横ッ面へ叩きつけると、ヒラリ身を返して、そのまま表へ飛び出したのである。 * * * 飛び出して、その足ですぐ霊岸島の下田屋へ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・朝、駅で売っている数種類の予想表を照らし合わせどの予想表にも太字で挙げている本命だけを、三着まで配当のある確実な複式で買うという小心な堅実主義の男が、走るのは畜生だし、乗るのは他人だし、本命といっても自分のままになるものか、もう競馬はやめた・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・ 豹吉は軽い当身をくらったような気がして思わず畜生とついて行きかけたが、何かすかされた想いに足をすくわれてぽかんと後姿を見送っていた。 後姿が消えても、白い雨足をいつまでも見ていた。 すると、豹吉は雪子に無関心でおれなくなった自・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・』『夷狄だ畜生だ、日本人ならよくきけ、君、君たらずといえども臣もって臣たらざるべからずというのが先王の教えだ、君、臣を使うに礼をもってし臣、君に事うるに忠をもってす、これが孔子の言葉だ、これこそ日の本の国体に適う教えだ、サアこれでも貴様は孟・・・ 国木田独歩 「初恋」
・・・仏教では一切衆生悉有仏性といって、人間でも、畜生でも、生きているものはみな仏になるべき性種をそなえているという。ただそれを磨き出さなければならない。 現代では、日本の新しい女性は科学と芸術とには目を開いたけれども、宗教というものは古臭い・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・「畜生! 逃がしちゃった!」 三 戸外で蒙古馬が嘶いた。 馭者の呉はなだめるような声をかけて馬を止めた。 ぶるぶる身慄いして、馬は、背の馬具を揺すぶった。今さっき出かけたばかりの橇がひっかえしてきたらしい・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・「だめだ。」「どうしたんだい?」「奉天あたりで宿営して居るんだ。」「何でじゃ?」「裸にひきむかれて身体検査を受けて居るんだ。」「畜生! 親爺の手紙まで、俺れらにゃ、そのまゝ読ましゃしねえんだな!」 でも、慰問袋は・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・夕方まで骨を折って、足の裏が痛くなるほど川ん中をあっちへ行ったりこっちへ行ったりしたけれども、とうとう一尾も釣れずに家へ帰ると、サア怒られた怒られた、こん畜生こん畜生と百ばかりも怒鳴られて、香魚や山やまめは釣れないにしても雑魚位釣れない奴が・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・ しめた! 俺はニヤリとした。それは全く天裕だった。――今日は忘れるぞ。 雨戸がせわしく開いて、娘さんが梯子を駈け上がって行く。俺は知らずに息をのんでいた。 畜生! 何んてことだ、又忘れてやがらない! 俺たちはがっかりしてしまっ・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・北風が来れば、槲の葉が直ぐ鳴るような調子で、「畜生ッ。打つぞ」 髪を振って、娘は遊び友達の方へ走って行った。 島崎藤村 「岩石の間」
出典:青空文庫