・・・富士司の御鷹匠は相本喜左衛門と云うものなりしが、其日は上様御自身に富士司を合さんとし給うに、雨上りの畦道のことなれば、思わず御足もとの狂いしとたん、御鷹はそれて空中に飛び揚り、丹頂も俄かに飛び去りぬ。この様を見たる喜左衛門は一時の怒に我を忘・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・基線道路と名づけられた場内の公道だったけれども畦道をやや広くしたくらいのもので、畑から抛り出された石ころの間なぞに、酸漿の実が赤くなってぶら下がったり、轍にかけられた蕗の葉がどす黒く破れて泥にまみれたりしていた。彼は野生になったティモシーの・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ 足場が悪いから気を付けろといいながら彼の男は先きに立って国道から畦道に這入って行った。 大濤のようなうねりを見せた収穫後の畑地は、広く遠く荒涼として拡がっていた。眼を遮るものは葉を落した防風林の細長い木立ちだけだった。ぎらぎらと瞬・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 白砂の小山の畦道に、菜畑の菜よりも暖かそうな、おのが影法師を、われと慰むように、太い杖に片手づきしては、腰を休め休め近づいたのを、見ると、大黒頭巾に似た、饅頭形の黄なる帽子を頂き、袖なしの羽織を、ほかりと着込んで、腰に毛巾着を覗かせた・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・手許が暗くなりましたので、袖が触りますばかりに、格子の処へ寄って、縫物をしておりますと、外は見通しの畠、畦道を馬も百姓も、往ったり、来たりします処、どこで見当をつけましたものか、あの爺のそのそ嗅ぎつけて参りましてね、蚊遣の煙がどことなく立ち・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・居ないのを、一息の下に見渡して、我を笑うと心着いた時、咄嗟に渋面を造って、身を捻じるように振向くと…… この三角畑の裾の樹立から、広野の中に、もう一条、畷と傾斜面の広き刈田を隔てて、突当りの山裾へ畦道があるのが屏風のごとく連った、長く、・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・廓へ近き畦道も、右か左か白妙に、この間に早瀬主税、お蔦とともに仮色使と行逢いつつ、登場。往来のなきを幸に、人目を忍び彳みて、仮色使の退場する時、早瀬お蔦と立留る。お蔦 貴方……貴方。・・・ 泉鏡花 「湯島の境内」
・・・女の人の教える方を見れば、青松葉をしたたか背負った頬冠りの男が、とことこと畦道を通る。間もなくこちらを背にして、道について斜に折れると思うと、その男はもはや、ただ大きな松葉の塊へ股引の足が二本下ったばかりのものとなって動いている。松葉の色が・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・音楽隊は、村のはずれに出てしまってもあゆみをとめないで、螢の光の曲をくりかえしくりかえし奏しながら菜の花畠のあいだをねってあるいて、それから田植まっさいちゅうの田圃へ出て、せまい畦道を一列にならんで進み、村のひとたちをひとりも見のがすことな・・・ 太宰治 「逆行」
・・・ わたくしは日々手籠をさげて、殊に風の吹荒れた翌日などには松の茂った畠の畦道を歩み、枯枝や松毬を拾い集め、持ち帰って飯を炊ぐ薪の代りにしている。また野菜を買いに八幡から鬼越中山の辺まで出かけてゆく。それはいずこも松の並木の聳えている砂道・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
出典:青空文庫