・・・さればそれより以前には、浅草から吉原へ行く道は馬道の他は、皆田間の畦道であった事が、地図を見るに及ばずして推察せられる。『たけくらべ』や『今戸心中』のつくられた頃、東京の町にはまだ市区改正の工事も起らず、従って電車もなく、また電話もなか・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ところどころに泥水のたまった養魚池らしいものが見え、その岸に沿うた畦道に、夫婦らしい男と女とが糸車を廻して綱をよっている。その響が虻のうなるように際立って耳につくばかり、あたりは寂として枯蘆のそよぐ音も聞えないのは、日も漸く傾いて、ひとしき・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・ 明後日村を出かけるという日の夕方近く、沢や婆は、畦道づたいに植村婆さまを訪ねた。竹藪を切り拓いた畑に、小さい秋茄子を見ながら、婆さんは例によってめの粗い縫物をしていた。沢や婆の丸い背を見つけると、彼女は、「おう、婆やでないかい」・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・ 同じその四十年代の明治に子供であった私達は、同じその田端田圃の畦道を、三四郎がとこうとして悩んだ悩みもなく、「きいてき一声、新橋を、はやわが汽車ははなれたり」と声はりあげて歌いながら歩いた。余りながく崖の上で汽車を見ていて、この田圃に・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
出典:青空文庫