・・・翼の生えたうつくしい姉さんは居ないのッて、一所に立った人をつかまえちゃあ、聞いたけれど、笑うものやら、嘲けるものやら、聞かないふりをするものやら、つまらないとけなすものやら、馬鹿だというものやら、番小屋の媽々に似て此奴もどうかしていらあ、と・・・ 泉鏡花 「化鳥」
・・・警戒兵は、番小屋の中で、どこから聞えてくるともない、無慈悲な寒冷の音を聞いた。 二重硝子の窓の外には、きつきつたる肌ざわりの荒い岩のような、黒竜江の結氷が星空の下に光っていた。 番小屋は、舟着場から、約一露里上流にあって建てられてい・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・雨催の空濁江に映りて、堤下の杭に漣れんい寄するも、蘆荻の声静かなりし昔の様尋ぬるに由なく、渡番小屋にペンキ塗の広告看板かゝりては簑打ち払う風流も似合うべくもあらず。今戸の渡と云う名ばかりは流石に床し。山谷堀に上がれば雨はら/\と降り来るも場・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・わたくしが電報配達人の行衛を見送るかなたに、初て荒川放水路の堤防らしい土手を望んだ時には、その辺の養魚池に臨んだ番小屋のような小家の窓には灯影がさして、池の面は黄昏れる空の光を受けて、きらきらと眩く輝き、枯蘆と霜枯れの草は、かえって明くなっ・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・太十は畑の隅に柱を立てて番小屋を造った。屋根は栗幹で葺いて周囲には蓆を吊った。いつしか高くなった蜀黍は其広く長い葉が絶えずざわついて稀には秋らしい風を齎した。腹の底まで凉しくする西瓜が太十の畑に転がった。太十は周囲の蜀黍に竹を縛りつけて垣根・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・そんなら一寸向うの番小屋までおいで下さい。お茶でもさしあげましょう。」「いいえ、もう失礼いたします。」「それではあんまりです。一寸お待ち下さい。ええと、仕方ない、そんならまあ私の作った花でも見て行って下さい。」「ええ、ありがとう・・・ 宮沢賢治 「チュウリップの幻術」
・・・植え込んだ広い地面が、切符売場や信号所の建物のついたまま、わたくしどもの役所の方へまわって来たものですから、わたくしはすぐ宿直という名前で月賦で買った小さな蓄音器と二十枚ばかりのレコードをもって、その番小屋にひとり住むことになりました。わた・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・右手に番小屋が在る。一人の爺さんと、拝観に来たらしいカーキの兵卒がいる。私共は、永山氏からの名刺を通じた。「日本のお方か、西洋のお方か、どちらへやるかね」「どちらでもいいのです。――拝観出来れば……」 すると、爺さんは名刺をその・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・官吏として順当な出世が望めなくなったから俳道に身をうちこみはじめたというよりも、俳諧の道によってしか生きる心が表現出来ないと益々思いきめて、深川の杉風の鯉の生簀の番小屋に入ったとも思える。台所の柱に米が二升四合も入るぐらいの瓢をかけ、三方水・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
・・・トタンの番小屋のきのこ屋根も白くこおっている。 ――ダワイ! ダワイ! ダワイ! 馬橇が六台つながって、横道へはいってきた。セメント袋をつんでいる。工事場の木戸内へ一台ずつ入れられた。番兵は裾長外套の肩に銃をつっている。 長靴に・・・ 宮本百合子 「モスクワ印象記」
出典:青空文庫