・・・おらが家の花も咲いたる番茶かな 先輩たる蛇笏君の憫笑を蒙れば幸甚である。 芥川竜之介 「飯田蛇笏」
・・・僕は番茶の渋のついた五郎八茶碗を手にしたまま、勝手口の外を塞いだ煉瓦塀の苔を眺めていた。同時にまたちぐはぐな彼等の話にある寂しさを感じていた。「兄さんはどんな人?」「どんな人って……やっぱり本を読むのが好きなんですよ。」「どんな・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・たね子はやっとひとりになると、その日も長火鉢の前に坐り、急須の湯飲みについであった、ぬるい番茶を飲むことにした。が、彼女の心もちは何か落ち着きを失っていた。彼女の前にあった新聞は花盛りの上野の写真を入れていた。彼女はぼんやりこの写真を見なが・・・ 芥川竜之介 「たね子の憂鬱」
・・・、暫らく戸外に佇立って躊躇していたが、どうもそうらしくもないので、やがて玄関に音なうと、ピッタリ三味線が止んで現れたのはシラフの真面目な椿岳で、「イヤこれはこれは、今日は全家が出払って余り徒然なので、番茶を淹れて単りで浮れていた処サ。」と。・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・「番茶がよく出たから、熱いお茶を飲んでいらっしゃい。体が、あたたかになるから。」と、お母さんは、吉雄の、ご飯が終わるころにいわれました。 吉雄は、お母さんのいわれたように、いたしました。すると、ちょうど、汽車の汽罐車に石炭をいれたよ・・・ 小川未明 「ある日の先生と子供」
・・・火口の縁まで登って、しばらくはすさまじい穴をのぞき込んだり四方の大観をほしいままにしたりしていたが、さすがに頂は風が寒くってたまらないので、穴から少し下りると阿蘇神社があるそのそばに小さな小屋があって番茶くらいはのませてくれる、そこへ逃げ込・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・ 胸膜炎で、たき出した番茶のような水を、胸へ針を突っこんで汲み取る患者も、トラホーム・パンヌスも、脚のない男も一つの病室にごた/\入りまじった。「軍医殿、栗本も内地へ帰れますか?」 彼は、自分から癪に障るくらい哀れみを乞うような・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・ 主客の間にこんな挨拶が交されたが、客は大きな茶碗の番茶をいかにもゆっくりと飲乾す、その間主人の方を見ていたが、茶碗を下へ置くと、「君は今日最初辞退をしたネ。」と軽く話し出した。「エエ。」と主人は答えた。「なぜネ。」・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・その書を机上に閉じて終って、半盞の番茶を喫了し去ってから、 また行ってくるよ。と家内に一言して、餌桶と網魚籠とを持って、鍔広の大麦藁帽を引冠り、腰に手拭、懐に手帳、素足に薄くなった薩摩下駄、まだ低くならぬ日の光のきらきらする中を、黄・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・熱い番茶をすすりながら、どうして天才でないことを言い切れるか、と追及してみた。はじめから、少しでも青扇の正体らしいものをさぐり出そうとかかっていたわけである。「威張るのですの。」そういう返事であった。「そうですか。」僕は笑ってしまっ・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
出典:青空文庫