・・・そして声音で明らかに一人は大津定二郎一人は友人某、一人は黒田の番頭ということが解る。富岡老人も細川繁も思わず聞耳を立てた。三人は大声で笑い興じながらちょうど二人の対岸まで来た二人の此処に蹲居んでいることは無論気がつかない。「だって貴様は・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・帳場にすわっておる番頭の一人が通りがかりの女中を呼んで、「お清さん、これを大森さんのとこへ持っていって、このかたが先ほど見えましたがお留守だと言って断わりましたって……」と一枚の小形の名刺を渡した。お清はそれを受けとって梯子段を上が・・・ 国木田独歩 「疲労」
・・・これを米屋の番頭から聞きこんだあるはしっこい女は、じゃ、うちにある外米を売ってあげよう、うんと安くしてあげてもかまわないから、と云いだした。 往復一里もあるその部落へその女は負い籠を背負って行ったそうだが、結果がどうなったかは帰って来て・・・ 黒島伝治 「外米と農民」
・・・彼と同年輩、または、彼より若い年頃の者で、学校へ行っていた時分には、彼よりよほど出来が悪るかった者が、少しよけい勉強をして、読み書きが達者になった為めに、今では、醤油会社の支配人になり、醤油屋の番頭になり、または小学校の校長になって、村でえ・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・、手船を万里に派し、或は親しく渡航視察の事を敢てするなど、中々一ト通りで無い者共で無くては出来ぬことをする人物であるから、縦い富有の者で無い、丸裸の者にしてからが、其の勇気が逞しく、其経営に筋が通り、番頭、手代、船頭其他のしたたか者、荒くれ・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・ッこむよりも早い札附き、男ひとりが女の道でござりまするか、もちろん、それでわたしも決めました、決めたとは誰を、誰でもない山村の若旦那俊雄さまとあにそれこうでもなかろうなれど機を見て投ずる商い上手俊雄は番頭丈八が昔語り頸筋元からじわと真に受け・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・彼女の周囲にあった親しい人達は、一人減り、二人減り、長年小山に出入してお家大事と勤めて呉れたような大番頭の二人までも早やこの世に居なかった。彼女は孤独で震えるように成ったばかりでなく、もう長いこと自分の身体に異状のあることをも感じていた。彼・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・広い板敷の台所があって、店のものに食わせる昼飯の支度がしかけてある。番頭や小僧の茶碗、箸なぞも食卓の上に既に置き並べてある。そこは小竹とした暖簾のかかっていた店の奥だ。お三輪は女中を相手に、その台所で働いていた。そこへ地震だ。やがて火だ。当・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・宿の番頭は、妙な顔をしてにこりともせず、下駄をつっかけて出て行った。 私は部屋で先生と黙って酒をくみかわしていた。あまりの緊張にお互い不機嫌になり、そっぽを向きたいような気持で、黙ってただお酒ばかり飲んでいたのである。襖があいて実直そう・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・私の町から三里ほど離れた五所川原という町の古い呉服屋の、番頭さんであったのだが、しじゅう私の家へやって来ては、何かと家の用事までしてくれていたようである。私の父は中畑さんを「そうもく」と呼んでいた。つまり、中畑さんには少しも色気が無くて、三・・・ 太宰治 「帰去来」
出典:青空文庫