・・・庭には何もないと言っても、この海辺に多い弘法麦だけは疎らに砂の上に穂を垂れていた。その穂は僕等の来た時にはまだすっかり出揃わなかった。出ているのもたいていはまっ青だった。が、今はいつのまにかどの穂も同じように狐色に変り、穂先ごとに滴をやどし・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・どうせ縁日物だから、大した植木がある訳じゃないが、ともかくも松とか檜とかが、ここだけは人足の疎らな通りに、水々しい枝葉を茂らしているんだ。「こんな所へ来たは好いが、一体どうする気なんだろう?――牧野はそう疑いながら、しばらくは橋づめの電・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・ そのうちに僕等は松の間を、――疎らに低い松の間を通り、引地川の岸を歩いて行った。海は広い砂浜の向うに深い藍色に晴れ渡っていた。が、絵の島は家々や樹木も何か憂鬱に曇っていた。「新時代ですね?」 K君の言葉は唐突だった。のみならず・・・ 芥川竜之介 「蜃気楼」
・・・その内に竹が疎らになると、何本も杉が並んでいる、――わたしはそこへ来るが早いか、いきなり相手を組み伏せました。男も太刀を佩いているだけに、力は相当にあったようですが、不意を打たれてはたまりません。たちまち一本の杉の根がたへ、括りつけられてし・・・ 芥川竜之介 「藪の中」
・・・ 大きな通りを外れて街燈の疎らな路へ出る。月光は初めてその深祕さで雪の積った風景を照していた。美しかった。自分は自分の気持がかなりまとまっていたのを知り、それ以上まとまってゆくのを感じた。自分の影は左側から右側に移しただけでやはり自分の・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・圧しつけるような暗い建築の陰影、裸の並樹、疎らな街燈の透視図。――その遠くの交叉路には時どき過ぎる水族館のような電車。風景はにわかに統制を失った。そのなかで彼は激しい滅形を感じた。 穉い堯は捕鼠器に入った鼠を川に漬けに行った。透明な水の・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・この真直なる路の急に左に折るるところに立ち木やや疎らなる林あり。青年はかねてよくこの林の奥深く分け入り、切り株などに腰かけて日の光と風の力とに変わりゆく林の趣をめで楽しみたりければ、犬もまたこの林になずみけん、今日も先に立ちて走り入りぬ。・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・ 左翼の疎らな森のはずれには、栗本の属している一隊が進んでいた。兵士達は、「止れ!」の号令がきこえてくると、銃をかたわらに投げ出して草に鼻をつけて匂いをかいだり、土の中へ剣身を突きこんで錆を落したりした。 その剣は、豚を突殺すのに使・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・ 夜盗の類か、何者か、と眼稜強く主人が観た男は、額広く鼻高く、上り目の、朶少き耳、鎗おとがいに硬そうな鬚疎らに生い、甚だ多き髪を茶筅とも無く粗末に異様に短く束ねて、町人風の身づくりはしたれど更に似合わしからず、脇差一本指したる体、何とも・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・ 大正年間の大噴火に押し出した泥流を被らなかったと思われる部分の山腹は一面にレモン黄色と温かい黒土色との複雑なニュアンスをもって彩られた草原に白く曝された枯木の幹が疎らに点在している。そうして所々に露出した山骨は青みがかった真珠のような・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
出典:青空文庫