・・・人数は疎らだのに、さしている傘ばかりが重なり合うようで、猶暫く立っていたら、その横丁へ自動車が入って来て、おとなしい人の列を道路に沿ってたてに押しつけてしまった。 私は、一人でそんな風にして偶然映画を観ることがよくあるが、その気分は気の・・・ 宮本百合子 「映画」
・・・往来が疎らになった彼方から、女が二人来た。ぼんやり互の顔が見分けられる近さになると、大きな声で一方が呼びかけた。「ゲンコツァン!」 桃龍とも一人、彼等の余りよく知らない女であった。「――おふれまいか?」 例の癖の睨むような横・・・ 宮本百合子 「高台寺」
・・・ ソヴェト市民は、映画のスクリーンの上に見た、まだ雪が真白にのこっている早春の曠野で、疎らな人かげが働いているのを。測量器をかついで深い雪をこぎ、新しい集団農場の下ごしらえのために働いているコムソモールを照らす太陽と、彼等の白い元気のい・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・その庭の白く乾いた道の上こそ、草履の端から立つ埃がむっとしておれ、たった一歩、例えばまあ三月堂から男山八幡へ行く道、三笠山へ出る道を右にそれて草原に出て見る、そこで人影はもう余程疎らだ。もう一寸、麗らかな太陽の下で情感ある蔭を重ねている矮樹・・・ 宮本百合子 「宝に食われる」
・・・ 彼の知らない涙が、あてどもなく凝視めているあのいい眼から、糸を引くようにこぼれ出て、疎らな髯のうちへ消えて行った。五 収穫の後始末もあらかた付いて、農民がいったいに暇になると、かねがね噂のあった或る新道の開拓が、いよい・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・その直ぐ向うは木槿の生垣で、垣の内側には疎らに高い棕櫚が立っていた。 花房が大学にいる頃も、官立病院に勤めるようになってからも、休日に帰って来ると、先ずこの三畳で煎茶を飲ませられる。当時八犬伝に読み耽っていた花房は、これをお父うさんの「・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・そして百日紅の植わっている庭の方の雨戸が疎らに締まっているのを、がらがらと繰り開けた。庭は内から見れば、割合に広い。爺さんは生垣を指ざして、この辺は要塞が近いので石塀や煉瓦塀を築くことはやかましいが、表だけは立派にしたいと思って問い合わせて・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・頭だけが大きく浮き上り、頂上がひどく突角って髪が疎らで頭の地が赤味を帯んでいるのである。実物の春夫氏の頭はよく見て知っているにも拘らず、実物とは全く変っている夢の中のその無気味な頭を、誰だかこれが春夫氏の頭だ頭だとしきりに説明をするのである・・・ 横光利一 「夢もろもろ」
出典:青空文庫