・・・しかし自己自身の存在を疑うことはできない。何となれば、疑うものはまた自己なるが故である。 人は自己が自己を知ることはできないという。かかる場合、人は知るということを、対象認識の意味においていっているのである。かかる意味において、自己が自・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・ 靄の先の光は、月であるか、電燈であるか、又は窓であるか、は解らなかったが光である事は疑う余地がなかった。 光を求めて、虫は飛んだ。 彼は虫のやり方を取った。が、人は総て虫のやり方でやらねばならないと云う法はなかった。外のやり方・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・下等士族もまた給人分の輩は知らぬことなれども彼の一条は云々、とて、互に竊に疑うこともあり憤ることもありて、多年苦々しき有様なりしかども、天下一般、分を守るの教を重んじ、事々物々秩序を存して動かすべからざるの時勢なれば、ただその時勢に制せられ・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・だから真劒になれるという人があれば私は疑う。が、単に疑うだけで、決してその心持にゃなれぬと断定するまでの信念を持っている訳でもない。雖然どう考えても、例えば此間盗賊に白刃を持て追掛けられて怖かったと云う時にゃ、其人は真実に怖くはないのだ。怖・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・これによれば彼が生存せし間は俳名の画名を圧したらんかとも思わるれど、その歿後今日に至るまでは画名かえって俳名を圧したること疑うべからざる事実なり。余らの俳句を学ぶや類題集中蕪村の句の散在せるを見てややその非凡なるを認めこれを尊敬すること深し・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・この野原には、学校なんかあるわけはなし、これはきっと俄に立ちどまった為に、私の頭がしいんと鳴ったのだと考えても見ましたが、どうしても心からさっきの音を疑うわけには行きませんでした。それどころじゃない、こんどは私は、子供らのがやがや云う声を聞・・・ 宮沢賢治 「茨海小学校」
・・・「お前、そんなに川窪はんを疑うてやが、お前ならどうする積りなんえ?「私? 私なら、きっきと毎月出すと云う書き物でももろうて来る。「そんな事、出来ると思うとるんか。 人に金貸して、利息でも取り立てる様に書き物を取るなん・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・渡辺はなぜこんな冷澹な心持になっていられるかと、みずから疑うのである。 渡辺は葉巻の煙をゆるく吹きながら、ソファの角のところの窓をあけて、外を眺めた。窓のすぐ下には材木がたくさん立てならべてある。ここが表口になるらしい。動くとも見えない・・・ 森鴎外 「普請中」
・・・ かくのごとく新感覚派文学は、いかなる文学の圏内からも、もし彼らが文学を問題としている限り、共通の問題とせらるべき、一つの確乎とした正統文学形式であるということには、先ず何人も疑う必要はないであろう。そうして、此の新感覚派文学は、資本主・・・ 横光利一 「新感覚派とコンミニズム文学」
・・・自分の理解を疑う心が激しく沸き立つ。「人生を見る眼が鈍く浅い。安価な自覚でよい心持ちになっている。自分で自分を甘やかすのだ。」こう自分で自分を罵る。そして自分の人格の惨めさに息の詰まるような痛みを感ずる。 しかしやがて理解の一歩深くなっ・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫