・・・と荒らかに言棄てて、疾風土を捲いて起ると覚しく、恐る恐る首を擡げあぐれば、蝦蟇法師は身を以て隕すが如く下り行き、靄に隠れて失せたりけり。 やれやれ生命を拾いたりと、真蒼になりて遁帰れば、冷たくなれる納台にまだ二三人居残りたるが、老媼の姿・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・が、誰も多少予想していないじゃないが余り迅雷疾風的だったから誰も面喰ってしまった。その上、東京の地震の火事と同様、予想以上に大きくなったのでいよいよ面喰ってしまった。日本は二葉亭の注文通りにこの機会に乗じて驥足を伸べるどころか、火の子を恐れ・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・ しかし、いまは、そのときの傷痕も古びてしまって、幹には、雅致が加わり、細かにしげった緑色の葉は、ますます金色を帯び、朝夕、霧にぬれて、疾風に身を揺すりながら、騎士のように朗らかに見られたのであります。 冬でも、この岩穴の中に越年す・・・ 小川未明 「しんぱくの話」
・・・それより以前には、私の左の横顔だけを見せつけ、私のおとこを売ろうとあせり、相手が一分間でもためらったが最後、たちまち私はきりきり舞いをはじめて、疾風のごとく逃げ失せる。けれども私は、そのころすべてにだらしなくなっていて、ほとんど私の身にくっ・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとした時、メロスは疾風の如く刑場に突入した。間に合った。「待て。その人を殺してはならぬ。メロスが帰って来た。約束のとおり、いま、帰って来た。」と大声で刑場の群衆にむかって叫ん・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・利ちゃんが何かいたずらでもした時に叱りつける声はどうしてこの細いかよわい咽から出るのかと思うようで、何か御使いでも云いつけらるると飛鳥のように飛んで出て疾風のごとく帰って来る。こう云う性質のためであるか、雪ちゃんの友達は多く自分より年下の男・・・ 寺田寅彦 「雪ちゃん」
・・・冷気を含んだ疾風がごうと蜀黍の葉をゆすって来た。遠く夕立の響が聞えて来た。文造は堪らなくなった。彼は鍬を担いで飛び出した。それと同時に屋根へ打ち込んだ鎌の切先が文造の額に触れた。はっと押えた時文造の手の平は赤くなった。犬の血に尋いで更に文造・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・かと危ぶむくらいなものである、されども乗るはついに乗るなり、乗らざるにあらざるなり、ともかくも人間が自転車に附着している也、しかも一気呵成に附着しているなり、この意味において乗るべく命ぜられたる余は、疾風のごとくに坂の上から転がり出す、する・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・にもつべき特質というものもワインガルトナーと夫人の芸術家としての生活は、教養で音楽を深く理解する範囲では今日でもすでに傑れているに相異ないが、自分の生活で音をつかんで来るという、人間生活の風雨と芸術の疾風にさらされた味は感じられないのである・・・ 宮本百合子 「近頃の話題」
出典:青空文庫