・・・然れども吾人の問わんと欲するは忍野氏の病名如何にあらず。常子夫人の夫たる忍野氏の責任如何にあり。「それわが金甌無欠の国体は家族主義の上に立つものなり。家族主義の上に立つものとせば、一家の主人たる責任のいかに重大なるかは問うを待たず。この・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・ 四 彼は六高へはいった後、一年とたたぬうちに病人となり、叔父さんの家へ帰るようになった。病名は確かに腎臓結核だった。僕は時々ビスケットなどを持ち、彼のいる書生部屋へ見舞いに行った。彼はいつも床の上に細い膝を抱・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・の机のうしろに坐り、そして、来た順に並ばせていちいち住所、氏名、年齢、病名をきいて帖面へ控えた。一見どうでもよいことのようだったが、これが妙に曰くありげで、なかなか莫迦に出来ぬ思いつきだった。 お前はおかね婆さんの助手で、もぐさをひねっ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・その頃は世間に神経衰弱という病名が甫めて知られ出した時分であったのだが、真にいわゆる神経衰弱であったか、あるいは真に漫性胃病であったか、とにかく医博士たちの診断も朦朧で、人によって異る不明の病に襲われて段衰弱した。切詰めた予算だけしか有して・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・ 安岡は故郷のあらゆる医師の立ち会い診断でも病名が判然しなかった。臨終の枕頭の親友に彼は言った。「僕の病源は僕だけが知っている」 こう言って、切れ切れな言葉で彼は屍を食うのを見た一場を物語った。そして忌まわしい世に別れを告げてし・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・「さよう、病人が病名を知らなくてもいいのですがまあ蛭石病の初期ですね、所謂ふう病の中の一つ。俗にかぜは万病のもとと云いますがね。それから、ええと、も一つのご質問はあなたの命でしたかね。さよう、まあ長くても一万年は持ちません。お気の毒です・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・ 或る時には、その方の病名や年齢が一種の知識を与えます。ただ、寂寥々とした哀愁が、人生というもの、生涯というものを、未だ年に於て若く、仕事に於て未完成である自分の前途にぼんやりと照し出したのです。 けれども、その某博士が逝去されたと・・・ 宮本百合子 「偶感一語」
・・・ そして其の死は極めて平凡な――別に大した疑問も多くの者が抱かなかった程明かな病名と順序を持ったものであった。 彼は悲しまれ惜しまれて丁寧に葬られた。 けれ共十年立った今では死んだ者の多くがそうである通りに彼の名も彼の相貌も大方・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・ 肺炎だろうと云う人もありインフルエンザだと云う人もあるのですけれ共臆病になって居る家の者達は、皆それ等の病名に安心しないので――そうではないと思って居たいので――一週間高熱の続いた事は何病とは明かに云われて居ないのです。 熱の高低・・・ 宮本百合子 「二月七日」
出典:青空文庫