・・・そのとき吉田がその病舎の食堂で、何心なく食事した後ぼんやりと窓に映る風景を眺めていると、いきなりその眼の前へ顔を近付けて、非常に押し殺した力強い声で、「心臓へ来ましたか?」 と耳打ちをした女があった。はっとして吉田がその女の顔を見る・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・ 彼女は息子を隔離病舎へやりたくなかった。そこへ行くともう生きて帰れないものゝように思われるからだった。再三医者に懇願してよう/\自宅で療養することにして貰った。 高熱は永い間つゞいて容易に下らなかった。為吉とおしかとは、田畑の仕事・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・去勢されたような男にでもなれば僕は始めて一切の感覚的快楽をさけて、闘争への財政的扶助に専心できるのだ、と考えて、三日ばかり続けてP市の病院に通い、その伝染病舎の傍の泥溝の水を掬って飲んだものだそうだ。けれどもちょっと下痢をしただけで失敗さ、・・・ 太宰治 「葉」
・・・監獄の病舎は、南側の日当りのいい方はただ歩く廊下にしてあるのだそうです。日の当らない北側だけが病室にあてられているときいて、私は憎らしい気がしました。四年間に二十七名の党員たちが死んだのだそうです。よくバスの車掌さんなんかで警察へつかまると・・・ 宮本百合子 「共産党公判を傍聴して」
・・・ 巣鴨にチフスが流行して、病舎にいて感染いたし、大心配して居りましたが、これも不正型というので熱が低いまま落付き仕合わせ致しました。 世界の大渦がキリキリと小さな渦巻となって、一つ一つの家庭に波及して参る様はなかなか壮観と申すべきで・・・ 宮本百合子 「日記・書簡」
・・・「境遇に勝とう」「家庭生活から」「貧しき教師」「病舎に」「お勤めして感じたもの」等いずれもそれぞれの生活の条件の中から若い女性が伸び育って行こうとしている心の姿が書かれているのですが、感想をのべた文章となっています。心持の報告でもルポルター・・・ 宮本百合子 「ルポルタージュの読後感」
・・・ こういうとき、彼は絶えず火を消して眠っている病舎の方を振り返るのが癖である。すると彼の頭の中には、無数の肺臓が、花の中で腐りかかった黒い菌のように転がっている所が浮んで来る。恐らくその無数の腐りかかった肺臓は、低い街々の陽のあたらぬ屋・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫