・・・その頃母は血の道で久しく煩って居られ、黒塗的な奥の一間がいつも母の病褥となって居た。その次の十畳の間の南隅に、二畳の小座敷がある。僕が居ない時は機織場で、僕が居る内は僕の読書室にしていた。手摺窓の障子を明けて頭を出すと、椎の枝が青空を遮って・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・久しく見ざれば停車場より我が家までの間の景色さえ変りて、愴然たる感いと深く、父上母上の我が思いなしにやいたく老いたまいたる、祖母上のこの四五日前より中風とやらに罹りたまえりとて、身動きも得したまわず病蓐の上に苦しみいたまえるには、いよいよ心・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・ 鶯の声も既に老い、そろそろ桜がさきかけるころ、わたくしはやっと病褥を出たが、医者から転地療養の勧告を受け、学年試験もそのまま打捨て、父につれられて小田原の町はずれにあった足柄病院へ行く事になった。(東京で治療を受けていた医者は神田神保・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
出典:青空文庫