・・・足は痺れを切らしたらしく、少しよろよろとなって歩いて行く父の後姿を見ると、彼はふっと深い淋しさを覚えた。 父はいつまでも寝つかないらしかった。いつもならば頭を枕につけるが早いかすぐ鼾になる人が、いつまでも静かにしていて、しげしげと厠に立・・・ 有島武郎 「親子」
・・・扇子をむしって棄ちょうとして、勿体ない、観音様に投げうちをするようなと、手が痺れて落したほどです。夜中に谷へ飛降りて、田沢の墓へ噛みつこうか、とガチガチと歯が震える。……路傍のつぶれ屋を、石油を掛けて焼消そうか。牡丹の根へ毒を絞って、あの小・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・しみだ、私は強いて心を落着けて、耳を澄して考えてみると、時は既に真夜半のことであるから、四隣はシーンとしているので、益々物凄い、私は最早苦しさと、恐ろしさとに堪えかねて、跳起きようとしたが、躯一躰が嘛痺れたようになって、起きる力も出ない、丁・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・自分が近づけば、水の面が小砂を投げたように痺れを打つ。「おや、みんな沈みました」と藤さんがいう。自分は、水を隔てて斜に向き合って芝生に踞む。手を延ばすなら、藤さんの膝にかろうじて届くのである。水は薄黒く濁っていれど、藤さんの翳す袂の色を・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・宿の主人は潜水業者であったが、ある日潜水から上がると身体中が痺れて動けなくなったので、それを治すためにもう一遍潜水服を着せて海へ沈めたりしたが、とうとうそれっきりになってしまった。自分等は離屋にいたのでその騒ぎを翌日まで知らなかった。その二・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・さめて見たら枕が無闇に固くて首筋が痺れていたそうである。 私はその一両日前の新聞記事に巡査が高圧線の切れて垂れ下がっているのを取りのけようとして感電したことが載せてあったのを思い出したので、友人にそれを読んだかと聞いたら読んだという。そ・・・ 寺田寅彦 「夢判断」
・・・いわんや二三日前まで『文学評論』の訂正をしていて、頭が痺れたように疲れているから、早速に分別も浮びません。それに似寄った事をせんだってごく簡略に『秀才文壇』の人に話してしまった。あいにくこの方面も種切れです。が、まあせっかくだから――いつお・・・ 夏目漱石 「文壇の趨勢」
・・・待ってる方は痺れを切らしても、逃げると云う事はないからね。今行くよ」「お前、又長くなるのじゃあるまいね」 病み疲れた、老い衰えた母は、そう訊ねることさえ気兼ねしていたのだが、辛抱し切れなくなって、囁くように言った。「大丈夫ですよ・・・ 葉山嘉樹 「生爪を剥ぐ」
・・・だけれども何だかそこが痺れたみたいで、うまく急に活動できにくいような気分があるわけです。だから婦人民主クラブのようなところでは、だんだん長い間にゆっくりとみなが成長して参りますために、しっかりした足どりで自分達の生活を建設できるために、みな・・・ 宮本百合子 「幸福の建設」
・・・一昨年の一月から六月十三日に母の危篤により帰る迄の間に私は猛烈な心臓脚気にかかっていて、胸まで痺れ、氷嚢を当て、坐っていた。 私の心臓が慢性的に弱ったのは、この第二のことからです。その時は、オリザニンの注射その他の治療で直そうとし、・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫