・・・叙せられたのが、今年になって夏のはじめ、新に大審院の判事に任ぜられると直ぐに暑中休暇になったが、暑さが厳しい年であったため、痩せるまでの煩いをしたために、院が開けてからも二月ばかり病気びきをして、静に療養をしたので、このごろではすっかり全快・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・――薬師寺、万松園、春日山などと共に、療養院は、山代の名勝に入っている。絵はがきがある。御覧なさい。 病院にして名勝の絵になったのは、全国ここばかりであろうも知れない。 この日当りで暖かそうなが、青白い建ものの、門の前は、枯葉半ば、・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・私は療養書の注意を守って、食後の安静に、畳の上に寝そべっていた。 虫の声がきこえて来た。背中までしみ透るように澄んだ声だった。 すっと、衣ずれの音がして、襖がひらいた。熱っぽい体臭を感じて、私はびっくりして飛び上った。隣室の女がはい・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・そしてわずか一と月ほどの間に、あの療養地のN海岸で偶然にも、K君と相識ったというような、一面識もない私にお手紙をくださるようになったのだと思います。私はあなたのお手紙ではじめてK君の彼地での溺死を知ったのです。私はたいそうおどろきました。と・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・ 私はながい間ある山間の療養地に暮らしていた。私はそこで闇を愛することを覚えた。昼間は金毛の兎が遊んでいるように見える谿向こうの枯萱山が、夜になると黒ぐろとした畏怖に変わった。昼間気のつかなかった樹木が異形な姿を空に現わした。夜の外出に・・・ 梶井基次郎 「闇の絵巻」
・・・再三医者に懇願してよう/\自宅で療養することにして貰った。 高熱は永い間つゞいて容易に下らなかった。為吉とおしかとは、田畑の仕事を打ちやって息子の看護に懸命になった。甥の孝吉は一日に二度ずつ、一里ばかり向うの町へ氷を取りに自転車で走った・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・途中、青松園という療養院のまえをとおった。七年まえの師走、月のあかい一夜、女は死に、私は、この病院に収容された。ひとつきほど、ここで遊んで、からだの恢復をはかったのであるが、そのひとつき間の生活は、ほのかにではあったけれども、私に生きている・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・あそこで半年ばかり療養していたんだ。中支に二年、南方に一年いて、病気でたおれて、伊東温泉で療養という事になったんだが、いま思うと、伊東温泉の六箇月が一ばん永かったような気がするな。からだが治って、またこれから戦地へ行かなくちゃならんのかと思・・・ 太宰治 「雀」
・・・生れてすぐにサナトリアムみたいなところに入院して、そうして今日まで充分の療養の生活をして来たとしても、その費用は、私のこれまでの酒煙草の費用の十分の一くらいのものかも知れない。実に、べらぼうにお金のかかる大病人である。一族から、このような大・・・ 太宰治 「父」
・・・自分は病気療養のためしばらく滞在する積りだから、階下の七番と札のついた小さい室を借りていた。ちょっとした庭を控えて、庭と桑畑との境の船板塀には、宿の三毛が来てよく昼眠をする。風が吹けば塀外の柳が靡く。二階に客のない時は大広間の真中へ椅子を持・・・ 寺田寅彦 「嵐」
出典:青空文庫