・・・況して其夫が立腹癇癪などを起して乱暴するときに於てをや。妻も一処に怒りて争うは宜しからず、一時発作の病と視做し一時これを慰めて後に大に戒しむるは止むを得ざる処置なれども、其立腹の理非をも問わず唯恐れて順えとは、婦人は唯是れ男子の奴隷たるに過・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・その後は西洋画を排斥する人に逢うと癇癪に障るので大に議論を始める。終には昔為山君から教えられた通り、日本画の横顔と西洋画の横顔とを画いて「これ見給え、日本画の横顔にはこんな目が画いてある、実際 君、こんな目があるものじゃない」などと大得意に・・・ 正岡子規 「画」
降誕祭の朝、彼は癇癪を起した。そして、家事の手伝に来ていた婆を帰して仕舞った。 彼は前週の水曜日から、病気であった。ひどい重患ではなかった。床を出て自由に歩き廻る訳には行かないが、さりとて臥きりに寝台に縛られていると何・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・下町の生活に馴れて汽車に乗るだけさえ一事件であるのだろうと同情していた私は、少し癇癪を起した。 婆さんは、それを働かして少しは自分で自分の行く先に注意を払うだけの脳味噌も持ち合わせていないのであろうか。彼女の質問のしぶりには、彼女が混ん・・・ 宮本百合子 「一隅」
・・・それ故じき癇癪が起り、腹が減り、つまり神経が絶えず焦々している気の毒な五十三の年寄りであったけれども、彼女の良人は、健康でこそあれもう六十で、深く妻を愛している矢張り一人の老人だ。佐和子は、結婚生活をする娘の独特な心持で両親の生活を思い、・・・ 宮本百合子 「海浜一日」
・・・「癇癪もちさん! まあまあそういきばらずに!」「帰りに鎌倉へ廻り、家を見て来た。ほら、いつぞや、若竹をたべた日本橋の小料理や、あすこの持家で、気に入るかどうか、屋根は茅です。」そして、その辺の地理の説明がこまかに書かれていた。鎌倉と・・・ 宮本百合子 「この夏」
・・・ 木曜会で接した漱石は、良識に富んだ、穏やかな、円熟した紳士であった。癇癪を起こしたり、気ちがいじみたことをするようなところは、全然見えなかった。諧謔で相手の言い草をひっくり返すというような機鋒はなかなか鋭かったが、しかし相手の痛い・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
・・・少し癇癪が起きそうになるまで待たされたあとで、やっと動き出したかと思うと、やがてまたすぐに止まった。旧軽井沢であったらしい。ここでもなかなか発車しそうにない。うんざりしながら鄙びた小さな停車場をながめていると、突然陽気な人声が聞こえて四、五・・・ 和辻哲郎 「寺田さんに最後に逢った時」
・・・永いなじみでもあり、また、癇癪持ちではあったが、心から親切な医者として、半世紀以上この田舎で働いていた祖父のために、ずいぶん多くの人が会葬してくれました。 式が終わりに近づいた時、この男は父親と二人で墓地の入り口へ出ました。会葬者に挨拶・・・ 和辻哲郎 「土下座」
・・・私は夏目先生が気むずかしい癇癪持ちであることを知っていた。もとよりそれは単なる「わがまま」ではない。すべて自己の道義的気質に抵触するものに対する本能的な気短い怒りである。従って、自己の確かでない感傷的な青年であった私は、自分が道義的にフラフ・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
出典:青空文庫