・・・私が五十日あまりの病床から身を起こして、発病以来初めての風呂を浴びに、鼠坂から森元町の湯屋まで静かに歩いた時、兄弟二人とも心配して私のからだを洗いについて来たくらいだ。私の顔色はまだ悪かった。私は小田原の海岸まで保養を思い立ったこともある。・・・ 島崎藤村 「嵐」
発病する四五日前、三越へ行ったついでに、ベコニアの小さい鉢を一つ買って来た。書斎の机の上へ書架と並べて置いて、毎夜電燈の光でながめながら、暇があったらこれも一つ写生しておきたいと思っていたが、つい果たさずに入院するようにな・・・ 寺田寅彦 「病室の花」
・・・は、結核におかされた人々の発病原因となった生活事情、発病のためにおこって来る愛の破綻、療養の方法を発見するための意志的な努力など、すべての闘病者に共通な課題にふれて語っている。文学作品とするとかたい。けれども、感情に正常な健全さがある。・・・ 宮本百合子 「『健康会議』創作選評」
・・・ しかし現実では、顕治は不如意のために疲労していた体の栄養補給ができず、結核を発病した。[自注4]クリムサムギンのおじいさん――百合子はマクシム・ゴーリキーの伝記を書こうとしていた。[自注5]去年も一昨年もひどい夏でした――一九・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・そして、朝日新聞社からロシア視察旅行に赴き、あちらで発病して、明治四十二年五月帰途の船が印度洋を通っているとき病歿した。 二葉亭の悲劇は決して旅の半ば船中でその生涯を終ったことではない。彼の悲劇は、あれだけ日本のために文学をもって働きか・・・ 宮本百合子 「生活者としての成長」
・・・ この弟は、大正九年の大暴風の日に発病してチフスから脳症になって命をおとした。この弟の生命が一刻一刻消えてゆく過程を私は息もつけないおどろきと畏れとで凝視した。その見はった眼の中で、彼に対するひごろの思いもうち忘れ、臨終記として「一つの・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・祖母は朝はパンと牛乳だけしか食べない。発病した朝焼いたまま、のこしたのだろう。捨てることを誰も気がつかなかったのだ。涙組みながら、私は自分の涙を怪しんだ。奇妙ではないか、祖母は決してこのパンばかりしか食べるものが無かったのではない。美味いも・・・ 宮本百合子 「祖母のために」
いまはもう鹿児島県に入らない土地となった奄美大島の徳之島という島から十二歳の少女が収容船にのって国立癩療養所星塚敬愛園にはいって来た。十歳のとき発病して、小学校の尋常四年までしかいかなかった松山くにというその少女は、入園し・・・ 宮本百合子 「病菌とたたかう人々」
・・・昨年五月発病当時も母は例の旅日記の下書きを整理中であったが、遂にそれを自身の手で完結する事が出来ず長逝したのであった。母が幼年及び少女時代を過した築地向島時代の思い出には、明治開化期前後の東京生活が髣髴として興味ふかく初霜には若かりし父母の・・・ 宮本百合子 「葭の影にそえて」
出典:青空文庫