・・・それから又斎藤さんと割り合にすいた省線電車に乗り、アララギ発行所へ出かけることにした。僕はその電車の中にどこか支那の少女に近い、如何にも華奢な女学生が一人坐っていたことを覚えている。 僕等は発行所へはいる前にあの空罎を山のように積んだ露・・・ 芥川竜之介 「島木赤彦氏」
・・・しかしこの雑誌社から発行する雑誌に憎悪と侮蔑とを感じていた彼は未だにその依頼に取り合わずにいる。ああ云う雑誌社に作品を売るのは娘を売笑婦にするのと選ぶ所はない。けれども今になって見ると、多少の前借の出来そうなのはわずかにこの雑誌社一軒である・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・研究報告書は経費の都合上十分抱負が実現されなかったが、とにかく鴎外時代となって博物館から報告書が発行されるようになったのは日本の博物館の一進歩である。鴎外は各国博物館の業績に深く潜思して、就任後一、二回落合った偶然の咄のついでにも抱負の一端・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・ 今日では新聞紙の発行が一つのビジネスであるのを何人も怪まないであろう。成島柳北や沼間守一が言論の機関としていた時代と比べて之を堕落と云うものあらば時代を解せざる没分暁の言として見らるゝであろう。其通りに雑誌も亦一つのビジネスであるが、・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・出版の都度々々書肆から届けさしたという事で、伝来からいうと発行即時の初版であるが現品を見ると三、四輯までは初版らしくない。私の外曾祖父は前にもいう通り、『美少年録』でも『侠客伝』でも皆謄写した気根の強い筆豆の人であったから、『八犬伝』もまた・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・『経世偉勲』の発行されたのはあたかも侯井上の欧化政策時代であって、その頃学堂はジスレリーに私淑しているという評判だった。が、政治家としての尾崎は相応に見識があったろうが、ジスレリーを私淑するには学堂の文藻は余りに貧しかった。尤も日本の政治家・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・を完膚なきまでに否定している一方、ジャン・ポール・サルトルがエグジスタンシアリスムを提唱し、最近巴里で機関誌「現代」を発行し、巻頭に実存主義文学論を発表している。エグジスタンシアリスムという言葉は、巴里では地下鉄の中でも流行語になっていると・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ 横堀筋違橋ほとりの餅屋の二階を月三円で借り、そこを発行所として船場新聞というあやしい新聞をだしたのは、それから一年後のことであった。俥夫三年の間にちびちび溜めて来たというものの、もとより小資本で、発行部数も僅か三百、初号から三号までは・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・私情で雑誌の発行を遅らせては済まないと、寺田はやはり律義者らしくいやいや競馬場へ出掛けた。ちょうど一競走終ったところらしく、スタンドからぞろぞろと引き揚げて来る群衆の顔を、この中に一代の男がいるはずだとカッと睨みつけていると、やあ済まん済ま・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・ すなわち学校、孤児院の経営、雑誌の発行、あるいは社会運動、国民運動への献身、文学的精進、宗教的奉仕等をともにするのである。二つ夫婦そらうてひのきしんこれがだいいちものだねや これは天理教祖みき子の数え歌だ。子を・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
出典:青空文庫