・・・が、一方ではまたその当然すぎる事が、多少の反撥を心に与えたので、私は子爵の言が終ると共に、話題を当時から引離して、一般的な浮世絵の発達へ運ぼうと思っていた。しかし本多子爵は更に杖の銀の握りで、芳年の浮世絵を一つ一つさし示しながら、相不変低い・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・すると僕は、直覚力も推理力も甚円満に発達していると云うのだから大したものである。もっともこれは、あとで「動物性も大分あります。」とか何か云われたので、結局帳消しになってしまったらしい。 大野さんが帰ったあとで湯にはいって、飯を食って、そ・・・ 芥川竜之介 「田端日記」
・・・芸術に対しては特に没頭したものがなかったので、鑑識力も発達してはいなかったが、見当違いの批評などをする時でも、父その人でなければ言われないような表現や言葉使いをした。父は私たちが芸術に携わることは極端に嫌って、ことに軽文学は極端に排斥した。・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・けだしその論理は我々の父兄の手にある間はその国家を保護し、発達さする最重要の武器なるにかかわらず、一度我々青年の手に移されるに及んで、まったく何人も予期しなかった結論に到達しているのである。「国家は強大でなければならぬ。我々はそれを阻害すべ・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・執着心がないからして都府としての公共的な事業が発達しないとケナス人もあるが、予は、この一事ならずんばさらに他の一事、この地にてなし能わずんばさらにかの地に行くというような、いわば天下を家として随所に青山あるを信ずる北海人の気魄を、双手を挙げ・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・文学として立派に職業たらしむるだけの報酬を文人に与え衣食に安心して其道に専らなるを得せしめ、文人をして社会の継子たるヒガミ根性を抱かしめず、堂々として其思想を忌憚なく発露するを得せしめて後初めて文学の発達を計る事が出来る。文人が社会を茶にし・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・そうしたところに、子供の素直な発達が遂げられるのであります。 お母さんのいない家庭は、光りの射さない家庭のようにさびしいものです。たとえば、病気の時、お母さんは、子供の傍にいて、夜も碌々眠らずに、看病をして下さる。子供は、お母さんに抱か・・・ 小川未明 「お母さんは僕達の太陽」
・・・ 実に、児童等をして、交通危害に関する恐怖より、一時なりとも解放することは、彼等の身心の発達上に及ぼす影響こそ真に大でなければならぬ。 今から、二十年ばかり前までは、市中には、まだ電車も、自動車もなかったといっていゝ。ただ馬車や、人・・・ 小川未明 「児童の解放擁護」
・・・ここでちょっと通りと筋のことを言いますと、船場では南北の線よりも東西の線の方が町並みが発達しているので、東西の線を通りと呼び、南北の線を筋と呼んでいるが、これが島ノ内に来ると、反対に南北の方がひらけて、南北の線が通り、東西の線が筋になる、も・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 日本の文壇というものは、一刀三拝式の心境小説的私小説の発達に数十年間の努力を集中して来たことによって、小説形式の退歩に大いなる貢献をし、近代小説の思想性から逆行することに於ては、見事な成功を収めた。 人間の努力というものは奇妙なも・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
出典:青空文庫