・・・ 約束の日に白山御殿町のケーベルさんの家を捜して植物園の裏手をうろついて歩いた。かなり暑い日で近辺の森からは蝉の声が降るように聞こえていたと思う。 若い男の西洋人が取り次ぎに出た。書斎のような所へ通されると、すぐにケーベルさんが出て・・・ 寺田寅彦 「二十四年前」
・・・と云いながら白山御殿町の下宿を出る。 我からと惜気もなく咲いた彼岸桜に、いよいよ春が来たなと浮かれ出したのもわずか二三日の間である。今では桜自身さえ早待ったと後悔しているだろう。生温く帽を吹く風に、額際から煮染み出す膏と、粘り着く砂埃り・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・ 遠くに白山山脈の見えるその村は、水田ばかりであったから、七、八月のむし暑さは実にひどかった。涼しいはずの茅屋根の下でも、吹きとおす風がないのだから、汗ふき手拭がじきぬれた。老人は、毎日毎日汗をふきながら机に向っているわたしを可哀そうに・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
つい先頃、或る友人があることの記念として私に小堀杏奴さんの「晩年の父」とほかにもう一冊の本をくれた。「晩年の父」はその夜のうちに読み終った。晩年の鴎外が馬にのって、白山への通りを行く朝、私は女学生で、彼の顔にふくまれている・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
・・・見ると、白い山羊と向い合って、黒い耳長驢馬が一匹立って居る。白山羊と黒驢馬とは月の光に生れて偶然オレゴン杉のかげで出会った。山羊は首をあげて、縁側に居る令子に後を向け、何か頻りに黒驢馬に向って云って居る。驢馬は一方の耳をぴんと反らせ頭を下げ・・・ 宮本百合子 「黒い驢馬と白い山羊」
・・・けれども、しまっておけなくて、女学校のときからやはり文学がすきで仲よしであった坂本千枝子さんという友達が、白山の奥に住んでいた、そこへもって行ってよんで貰った。その友達は心からよろこんでほめてくれた。次に、母にみせた。丁度、夜で、もう母は小・・・ 宮本百合子 「作者の言葉(『貧しき人々の群』)」
・・・ キビの葉は乾いた音をたてて、この辺の焼けあと、あちこちに立っている。白山の停留場に立っていると、昔から鶏声ケ窪と云われた窪地が今はじめて私たちの目の前に展開されている。窪地に廃墟が立ち、しかし樹木はこの初夏格別に美しい新緑をつけた。高・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・一時間も、肴町、白山の方を散歩し、少し勉強し、風呂に入り眠る。 プルタークの英雄伝を読み、シーザー、アントニオ、カトウ時代のギリシア、ローマ人の生活を、非常に興味深く覚える。 プルタークは、冷静に彼等を伝記者として扱う心持で居ただろ・・・ 宮本百合子 「小さき家の生活」
・・・根津さんと白山さまの御祭り、この二つの人気をうきうきさせる事が重なった時に――若い男の頬が酒でうす赤くなり娘の頸が白くなった時にこの処女は死んで行った。冷たい気高い様な様子でねて居る処女の体の囲りにはいろんな下らない、いかにも人間の出しそう・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
・・・この四人組の一人であった千枝子さんという友達の白山御殿町の家へ、五年生の夏休みの或る夜、私が書きあげたばかりの小説をもって夢中になってかけつけて行った心持も、思い出せばほほ笑まれる。 世間でいう相当の家庭の娘たちを集めていた女学校などと・・・ 宮本百合子 「なつかしい仲間」
出典:青空文庫