・・・排イテ進メバ則白雲ノ湧スルガ如ク、杳トシテ際涯ヲ見ズ。低回スルコト頃クニシテ肌骨皆香シク、人ヲシテ蒼仙ニ化セシメントス。既ニシテタ陽林梢ニアリ、落霞飛鳧、垂柳疎松ノ間ニ閃閃タリ。長流ハ滾滾トシテ潮ハ満チ石ハ鳴ル。西ニ芙蓉ヲ仰ゲバ突兀万仞。東・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・棚引いている白雲は、上の方に黄金色の縁を取って、その影は灰色に見えている。昔の画家が聖母を乗せる雲をあんな風にえがいたものだ。山の裾には雲の青い影が印せられている。山の影は広い谷間に充ちて、広野の草木の緑に灰色を帯びさせている。山の頂の夕焼・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・幾里の登り阪を草鞋のあら緒にくわれて見知らぬ順礼の介抱に他生の縁を感じ馬子に叱られ駕籠舁に嘲られながらぶらりぶらりと急がぬ旅路に白雲を踏み草花を摘む。実にやもののあわれはこれよりぞ知るべき。はた十銭のはたごに六部道者と合い宿の寝言は熟眠を驚・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・ 見る物がなくなって、空を見ると、黒雲と白雲と一面に丑寅の方へずんずんと動いて行く。次第に黒雲が少くなって白雲がふえて往く。少しは青い空の見えて来るのも嬉しかった。 例の三人の子供は復我垣の外まで帰って来た。今度はごみため箱の中へ猫・・・ 正岡子規 「飯待つ間」
・・・「お日さまの、 お通りみちを はき浄め、 ひかりをちらせ あまの白雲。 お日さまの、 お通りみちの 石かけを 深くうずめよ、あまの青雲。」 そしてもういつか空の泉に来ました。 この泉は霽れた晩には、下・・・ 宮沢賢治 「双子の星」
・・・ 夏中見あきるほど見せつけられた彼の白雲は、まあどこへ行ったやらと思う。 いかにも気持が良い空の色だ。 はっきりした日差しに苔の上に木の影が踊って私の手でもチラッと見える鼻柱でも我ながらじいっと見つめるほどうす赤い、奇麗な色に輝・・・ 宮本百合子 「秋風」
・・・ほんの僅かな白雲が微に流れて端の枝を掠め、次の枝の陰になり、繊細な黒レースのような真中の濃い網めを通って彼方にゆく。 庭の隅でカサカサ、八ツ手か何かが戦ぐ音がした。 チュッチュッ! チー チュック チー。…… 暖い日向は、白い寝・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・ 漂う白雲の間を漏れて、木々の梢を今一度漏れて、朝日の光が荒い縞のように泉の畔に差す。 真赤なリボンの幾つかが燃える。 娘の一人が口に銜んでいる丹波酸漿を膨らませて出して、泉の真中に投げた。 凸面をなして、盛り上げたようにな・・・ 森鴎外 「杯」
・・・目の前なる山の頂白雲につつまれたり。炉に居寄りてふみ読みなどす。東京の新聞やあると求むるに、二日前の朝野新聞と東京公論とありき。ここにも小説は家ごとに読めり。借りてみるに南翠外史の作、涙香小史の翻訳などなり。 二十三日、家のあるじに伴わ・・・ 森鴎外 「みちの記」
・・・飄然として岫をいずる白雲のごとく東に漂い西に泊す。自然の美に酔いては宇宙に磅たる悲哀を感得し、自然の寂寥に泣いては人の世の虚無を想い来世の華麗に憧憬す。胸に残るただ一つは花の下にて春死なんの願いである。西行はかく超越を極めた。しかれども霊的・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫