・・・震災後も引続き、黒塀の奥深く、竹も樹も静まり返って客を受けたが、近代のある世態では、篝火船の白魚より、舶来の塩鰯が幅をする。正月飾りに、魚河岸に三個よりなかったという二尺六寸の海老を、緋縅の鎧のごとく、黒松の樽に縅した一騎駈の商売では軍が危・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・さて、お肴には何よけん、あわび、さだえか、かせよけん、と栄螺蛤が唄になり、皿の縁に浮いて出る。白魚よし、小鯛よし、緋の毛氈に肖つかわしいのは柳鰈というのがある。業平蜆、小町蝦、飯鮹も憎からず。どれも小さなほど愛らしく、器もいずれ可愛いのほど・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
・・・血の池で、白魚が湧いたように、お藻代さんの、顔だの、頬だのが。 堤防を離れた、電信のはりがねの上の、あの辺……崖の中途の椎の枝に、飛上った黒髪が――根をくるくると巻いて、倒に真黒な小蓑を掛けたようになって、それでも、優しい人ですから、す・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・なるほど小さい、白魚ばかり、そのかわり、根の群青に、薄く藍をぼかして尖の真紫なのを五、六本。何、牛に乗らないだけの仙家の女の童の指示である……もっと山高く、草深く分入ればだけれども、それにはこの陽気だ、蛇体という障碍があって、望むものの方に・・・ 泉鏡花 「若菜のうち」
・・・ようやくある家にて草鞋を買いえて勇を奮い、八時半頃野蒜につきぬ。白魚の子の吸物いとうまし、海の景色も珍らし。 十九日、夜来の大雨ようよう勢衰えたるに、今日は待ちに待ちたる松島見んとて勇気も日頃にましぬ。いでやと毛布深くかぶりて、えいさえ・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・また春の未明には白魚すくいをやるものがある。これには商売人も素人もある。 マア、夜間通船の目的でなくて隅田川へ出て働いて居るのは大抵こんなもので、勿論種々の船は潮の加減で絶えず往来して居る。船の運動は人の力ばかりでやるよりは、汐の力を利・・・ 幸田露伴 「夜の隅田川」
・・・ど横へそらせてかくなる上はぜひもなし白状致します私母は正しく女とわざと手を突いて言うを、ええその口がと畳叩いて小露をどうなさるとそもやわたしが馴れそめの始終を冒頭に置いての責道具ハテわけもない濡衣椀の白魚もむしって食うそれがし鰈たりとも骨湯・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・白い襟首、黒い髪、鶯茶のリボン、白魚のようなきれいな指、宝石入りの金の指輪――乗客が混合っているのとガラス越しになっているのとを都合のよいことにして、かれは心ゆくまでその美しい姿に魂を打ち込んでしまった。 水道橋、飯田町、乗客はいよいよ・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・唯見ればお妾は新しい手拭をば撫付けたばかりの髪の上にかけ、下女まかせにはして置けない白魚か何かの料理を拵えるため台所の板の間に膝をついて頻に七輪の下をば渋団扇であおいでいる。七 何たる物哀れな美しい姿であろう。夕化粧の襟足際・・・ 永井荷風 「妾宅」
白魚、都鳥、火事、喧嘩、さては富士筑波の眺めとともに夕立もまた東都名物の一つなり。 浮世絵に夕立を描けるもの甚多し。いずれも市井の特色を描出して興趣津々たるが中に鍬形くわがたけいさいが祭礼の図に、若衆大勢夕立にあいて花・・・ 永井荷風 「夕立」
出典:青空文庫