・・・の作者は、これらのすべてについて全く知らないか、或はごく部分的に、ブルジョア新聞のニュース風に皮相的にしかしらなかった。けれども、この年の秋の関東地方の大震災につづく大杉栄、伊藤野枝、その甥である男の子供の虐殺。各地における朝鮮、中国労働者・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・小説的な捉えかたかもしれないけれども、苦しんでいるイレーネが、自分の悶えを皮相的利己主義だと片づけて云われているのを洩れ聞くところから、その心のたたかいがはじまり母ジェニファーの成熟とババの明るい自然さと絡んで展開されて行ったら、この「早春・・・ 宮本百合子 「雨の昼」
・・・他の生産部門にたいして、とくに社会を皮相からみたときには、いつもそれだけが支配力をもつような政治・経済の力に抗して、文学の独特な価値を肯かせようとして、ほかの仕事とは違う、違うと、ますます手足の萎えた状態に自身を追いこんだ。勤労階級と、文学・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
・・・ 皮相的な、浮きあがった表現の著しい例をわれわれは、この小説のクライマックスともいうべき「共同視察」の場面に発見する。ドヤドヤと視察者が入ってくる。佐田はさすがに「厄介なことになった」と思うが、あくまで自由な質問応答をやり、「活溌にやる・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・文化映画は、皮相な意味の文化性から脱して、もっともっと真剣に現実に迫らなければならない。文化性というものも語をかえて云えば現実に対する強い深い合理的な認識への要求以外にないのである。〔一九三七年十一月〕・・・ 宮本百合子 「映画の語る現実」
・・・ それを見て笑うなんて浅薄だという風にいえば、もちろんそうで、真に心ある人々としては決して笑って見ていられない今日の日本の時局精神の皮相的なはきちがいが、その娘さんたちの姿にも象徴されていると思う。そういう姿にある時代錯誤の感じは、単な・・・ 宮本百合子 「女の行進」
・・・と反撥する気分を、ひとくちに、日本婦人の無智とばかり見るのは皮相の観察であると思う。「政治」が、今まで何をしてくれたのか、という鋭い感情がその底を貫いて走っている。結局頼れるものではなかったではないか、そのような「政治」に、何を今更、この忙・・・ 宮本百合子 「現実に立って」
・・・ 西欧精神と日本の近代精神を比較して、日本の現代精神の皮相性、浅薄な模倣性を憎悪する人がある。それを厭うこころもちは、すべての思慮ある人の心のうちに、強く存在しているけれども、その厭わしさを、とりあげてよくよく調べてみれば、日本人の精神・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・は幾人かの人々が知識人として今日の社会に対している良心のあらわれであるのだけれど、その半面では、モーロアの本質がつまりダラディエやレイノーとそう大して違ったものでもないこと、それだからこそ現象の説明は皮相な政界内幕の域を脱し得ていないこと、・・・ 宮本百合子 「今日の作家と読者」
・・・珠を九仞の深きに投げ棄ててもただ皮相の袋の安き地にあらん事を願う衆人の心は無智のきわみである。さはあれわが保つ宝石の尊さを知らぬ人は気の毒を通り越して悲惨である、ただ己が命を保たんため、己が肉欲を充たさんために内的生命を失い内的欲求を枯らし・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫