・・・きっとあの人には盗癖があって、拾っても知らぬ振りをしているのだ。あんな淋しそうな女には、意外にも盗癖があるものだ。けれども私は、ゆるしてやろう。などと少しロマンチックな興奮を取り戻して、部屋を出てまた岩風呂のほうへ降りて行く途中で、その財布・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・父は涙をふるってこの盗癖のある子を折檻した。こぶしでつづけさまに三つほど三郎の頭を殴り、それから言った。これ以上の折檻は、お前のためにもわしのためにもいたずらに空腹を覚えさせるだけのことだ。それゆえ折檻はこれだけにしてやめる。そこへ坐れ。三・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・それなら……盗癖でもあるのだろうか? だが、深谷は級友中でも有数の資産家の息子であった。それにしても盗癖は違う。いくら不自由をしない家の子でも、盗癖ばかりは不可抗的なものだ。だが、盗癖ならばまず彼がその難をこうむるべき手近にいた。且つ近・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
出典:青空文庫