・・・物慣れた甚太夫は破れ扇に鳥目を貰いながら、根気よく盛り場を窺いまわって、さらに倦む気色も示さなかった。が、年若な求馬の心は、編笠に憔れた顔を隠して、秋晴れの日本橋を渡る時でも、結局彼等の敵打は徒労に終ってしまいそうな寂しさに沈み勝ちであった・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・ ついでに、おかしな話がある。六七人と銑吉がこの近所の名代の天麸羅で、したたかに食い且つ飲んで、腹こなしに、ぞろぞろと歩行出して、つい梅水の長く続いた黒塀に通りかかった。 盛り場でも燈を沈め、塀の中は植込で森と暗い。処で、相談を掛け・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・珍しく霧の深い夜で、盛り場の灯が空に赤く染まっていた。千日前から法善寺境内にはいると、そこはまるで地面がずり落ちたような薄暗さで、献納提灯や灯明の明りが寝呆けたように揺れていた。境内を出ると、貸席が軒を並べている芝居裏の横丁だった。何か胸に・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ もっとも、珈琲といえば、今日の大阪の盛り場には、銀座と同じように、昔の香とすこしも変らぬモカやブラジルの珈琲を飲ませる店が随分出来ている。 しかし、私たちは、そんな珈琲を味うまえにまず、「こんな珈琲が飲める世の中になったのか、・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・インケツの松と名乗って京極や千本の盛り場を荒しているうちに、だんだんに顔が売れ、随分男も泣かしたが、女も泣かした。面白い目もして来たが、背中のこれさえなければ堅気の暮しも出来たろうにと思えば、やはり寂しく、だから競馬へ行っても自分の一生を支・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・二 早くから両親を失い家をなくしてしまった私は、親戚の家を居候して歩いたり下宿やアパートを転々と変えたりして来たためか、天涯孤独の身が放浪に馴染み易く、毎夜の大阪の盛り場歩きもふと放浪者じみていたので、自然心斎橋筋や道頓堀界・・・ 織田作之助 「世相」
・・・金を払って外へ出ると、どこへ行くという当てもなく、真夏の日がカンカン当っている盛り場を足早に歩いた。熱海の宿で出くわした地震のことが想い出された。やはり暑い日だった。 十日目、ちょうど地蔵盆で、路地にも盆踊りがあり、無理に引っぱり出され・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 新京極に折れると、たてた戸の間から金盥を持って風呂へ出かけてゆく女の下駄が鳴り、ローラースケートを持ち出す小店員、うどんの出前を運ぶ男、往来の真中で棒押しをしている若者などが、異様な盛り場の夜更けを見せている。昼間は雑閙のなかに埋れて・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・ 行くところなき思いの夜は、三十八度の体温を、アスピリンにて三十七度二、三分までさげて、停車場へ行き、三、四十銭の切符を買い、どこか知らぬ名の町まで、ふらと出かけて、そうして、そこの薄暗き盛り場のろのろ歩いて、路のかたわら、唐突の一本の・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・ 私たちは部屋にはいらず、そのまま引返して、駅の近くの盛り場に来た。 母は、うなぎが好きであった。 私たちは、うなぎ屋の屋台の、のれんをくぐった。「いらっしゃいまし。」 客は、立ちんぼの客は私たち二人だけで、屋台の奥に腰・・・ 太宰治 「メリイクリスマス」
出典:青空文庫