・・・観音丸にちかづくものは櫓綱を弛めて、この異腹の兄弟の前途を危わしげに目送せり。 やがて遙に能生を認めたる辺にて、天色は俄に一変せり。――陸は甚だ黒く、沖は真白に。と見る間に血のごとき色は颯と流れたり。日はまさに入らんとせるなり。 こ・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・与えしものも言葉なく受けしものも言葉なく、互いに嬉れしとも憐れとも思わぬようなり、紀州はそのまま行き過ぎて後振向きもせず、源叔父はその後影角をめぐりて見えずなるまで目送りつ、大空仰げば降るともなしに降りくるは雪の二片三片なり、今一度乞食のゆ・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・ 他のお客は、このあわれなる敗北者の退陣を目送し、ばかな優越感でぞくぞくして来るらしく、「ああ、きょうは食った。おやじ、もっと何か、おいしいものは無いか。たのむ、もう一皿。」と血迷った事まで口走る。酒を飲みに来たのか、ものを食べに来・・・ 太宰治 「禁酒の心」
・・・皆がただ或る感をもって目送する。若い女は、そういう人目に一向頓着せず、やはり着物のわきを抓み上げたなり、赤い帯、赤い草履でゆるゆる行く。女は半町ほど行って、面白くもない編物細工を陳列した一つの飾窓の前に止まった。機械的に、下膨れな顔をキッと・・・ 宮本百合子 「茶色っぽい町」
出典:青空文庫