・・・そのまた枕もとには看護婦が一人、膝の上にひろげた病床日誌へ近眼の顔をすりつけるように、せっせと万年筆を動かしていた。 看護婦は洋一の姿を見ると、ちょいと媚のある目礼をした。洋一はその看護婦にも、はっきり異性を感じながら、妙に無愛想な会釈・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・何でも後に聞いた話によれば病院の医者や看護婦たちは旧正月を祝うために夜更けまで歌留多会をつづけていた。彼はその騒ぎに眠られないのを怒り、ベッドの上に横たわったまま、おお声に彼等を叱りつけた、と同時に大喀血をし、すぐに死んだとか云うことだった・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・産婆が雪で真白になってころげこんで来た時は、家中のものが思わずほっと気息をついて安堵したが、昼になっても昼過ぎになっても出産の模様が見えないで、産婆や看護婦の顔に、私だけに見える気遣いの色が見え出すと、私は全く慌ててしまっていた。書斎に閉じ・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ 江崎のお縫は芳原の新造の女であるが、心懸がよくッて望んで看護婦になったくらいだけれども、橘之助に附添って嬉しくないことも無いのであった。 しかるに重体の死に瀕した一日、橘之助が一輪ざしに菊の花を活けたのを枕頭に引寄せて、かつてやん・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・助手三人と、立ち会いの医博士一人と、別に赤十字の看護婦五名あり。看護婦その者にして、胸に勲章帯びたるも見受けたるが、あるやんごとなきあたりより特に下したまえるもありぞと思わる。他に女性とてはあらざりし。なにがし公と、なにがし侯と、なにがし伯・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・ 母が永らくぶらぶらして居たから、市川の親類で僕には縁の従妹になって居る、民子という女の児が仕事の手伝やら母の看護やらに来て居った。僕が今忘れることが出来ないというのは、その民子と僕との関係である。その関係と云っても、僕は民子と下劣な関・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・この際、外に看護してくれるものはなかったんさかい、それが矢ッ張り大石軍曹であったらしい、どうやら、その声も似とった。」「それが果して気違いであったなら、随分しッかりした気狂いじゃアないか?」「無論気狂いにも種類があるもんと見にゃなら・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・ 軽い手術だから医者は局部注射の必要もないと言ったが、夏目さんは強いてコカエン注射をしてもらった上に、いざ手術に取りかかると実に痛がる様子を見せたので、看護婦どもが笑ったそうである。そんなことを話してから夏目さんは「近頃、主人公の威厳を・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・この頃の或る新聞に、沼南が流連して馴染の女が病気で臥ている枕頭にイツマデも附添って手厚く看護したという逸事が載っているが、沼南は心中の仕損いまでした遊蕩児であった。が、それほど情が濃やかだったので、同じ遊蕩児でも東家西家と花を摘んで転々する・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・世には、我が子が、病気の時にも、自から看護をせず、看護婦や、家政婦の如き、人手を頼んでこれに委して、平気でいるものがないではない。その方が手がとゞくからという考えが伏在するからです。金というものがいかばかり人間の魂を堕落に導いたか知れない。・・・ 小川未明 「お母さんは僕達の太陽」
出典:青空文庫