・・・いよいよはいり切らなくなって吐き出し始めたら餅が一とつながりの紐になって果てしもなく続いて出て来たなどという話を聞かされたこともある。真偽の程は保証の限りでない。 雑煮の味というものが家々でみんな違っている。それぞれの家では先祖代々の仕・・・ 寺田寅彦 「新年雑俎」
・・・ いわゆるスモークボールを飛ばして打者を眩惑する名投手グローブの投球の秘術もやはり主として手首にあるという説を近ごろある人から聞いた。真偽は別として、それは力学的にもきわめて理解しやすいことだと思われる。 中学時代に少しばかり居合い・・・ 寺田寅彦 「「手首」の問題」
・・・と言ったという、真偽は別として、偽らざる心の誠という点でも、また数奇の体験から自然に生まれた詩であるという点でもまさにそのとおりである。しかしたしか太田水穂氏も言われたように、万葉時代には物と我れとが分化し対立していなかった。この分化が起こ・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・ そこの家には三代唖のひとがいたとか、三人の男の子が唖だとか、それに何か金銭につながった因縁話が絡んで、子供の心を気味わるく思わせる真偽明らかでない話が、その時分きかされていたのであった。 今のこっているのは、原っぱの奥の崖下にあっ・・・ 宮本百合子 「犬三態」
・・・仮装の精髄は、仮装しているものの中への感情移入であると文学は見ている。真偽の境がわれからぼやつくところにスリルがかくされていると見ているのである。〔一九三七年六月〕 宮本百合子 「仮装の妙味」
・・・の作者は、義太夫の文学の中に信夫のひどい東北弁をとり入れ、それが交通不便で、その東北弁の真偽を見わける機会もない当時にあっては珍しく、そこが所謂新趣向として都会の閑人たちの耳をたのしませたのであった。 今日娘の身売りは、道徳的な方面から・・・ 宮本百合子 「村からの娘」
・・・信玄の遺言といわれるものは、勝頼に対して、おれの死後謙信と和睦せよ、和睦ができたらば、謙信に対して頼むと一言言え、謙信はそう言ってよい人物であると教えている。真偽はとにかく、信玄はそういう人物と考えられていたのである。 慶長の末ごろ・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・伝説では、殉死の習慣を廃するために埴輪人形を立て始めたということになっているが、その真偽はわからないにしても、とにかく殉死と同じように、葬られる死者を慰めようとする意図に基づいたものであることは、間違いのないところであろう。そういう埴輪の形・・・ 和辻哲郎 「人物埴輪の眼」
・・・ しからば何によって創作の真偽、貴賤、正直、不正直を分かつか。生きる事が自己を表現することであり、その表現が創作であるならば、いかなる創作も虚偽であり卑賤であるとは言えないはずではないか。 それはただ表現を迫る生命とその表現方法との・・・ 和辻哲郎 「創作の心理について」
出典:青空文庫