・・・自然はやはりその恋人にのみ真心を打ち明けるものである。 科学の歴史はある意味では錯覚と失策の歴史である。偉大なる迂愚者の頭の悪い能率の悪い仕事の歴史である。 頭のいい人は批評家に適するが行為の人にはなりにくい。すべての行為には危険が・・・ 寺田寅彦 「科学者とあたま」
・・・「嬉しき人の真心を兜にまくは騎士の誉れ。ありがたし」とかの袖を女より受取る。「うけてか」と片頬に笑める様は、谷間の姫百合に朝日影さして、しげき露の痕なく晞けるが如し。「あすの勝負に用なき盾を、逢うまでの形身と残す。試合果てて再び・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・またここまで押してみれば女の真心が明かになるにはなるが、取返しのつかない残酷な結果に陥った後から回顧して見れば、やはり真実懸価のない実相は分らなくても好いから、女を片輪にさせずにおきたかったでありましょう。日本の現代開化の真相もこの話と同様・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・ 冷遇て冷遇て冷遇抜いている客がすぐ前の楼へ登ッても、他の花魁に見立て替えをされても、冷遇ていれば結局喜ぶべきであるのに、外聞の意地ばかりでなく、真心修羅を焚すのは遊女の常情である。吉里も善吉を冷遇てはいた。しかし、憎むべきところのない・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・このわたしの唇は何日も確り結んでいて高慢らしく黙っていたのだが、今こそは貴女の前に膝を突いて、この顫う唇を開けてわたくしの真心が言って見たい。ああ、何卒母上を呼んでくれい。引き留めてくれい。何故お前は母上の帰って行くのを見ていながら引留めて・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・その敬神尊王の主義を現したる歌の中に高山彦九郎正之大御門そのかたむきて橋上に頂根突けむ真心たふとをりにふれてよみつづけける吹風の目にこそ見えぬ神々は此天地にかむづまります独楽・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・ それを思うたびに、心に一つのおどろきが深まるように思うのは、女の真心、母の真心というテーマで描かれている傑作映画は、たとえば古く「ステラダラス」にしろ、ポーラ・ネグリがいかにも女優としての力量を示した「マズルカ」にしろ、実にその多くが・・・ 宮本百合子 「雨の昼」
・・・而も、彼には、人間として精進し、十善に達したい意慾が、真心から熱烈にあった。 作品にその二つが調和して現れた場合、ひとは、ムシャ氏の頼もしさとは又違う種類の共鳴、鼓舞、人生のよりよき半面への渇仰を抱かせられたのだ。 彼は、学識と伝統・・・ 宮本百合子 「有島武郎の死によせて」
・・・ 彼は、湯殿の鏡の前で、彼が後に来たのも知らず真心こめて化粧をなおしている千代を見出した。彼は困って咳払いした。千代は鏡の中でぱっと眼を移し、重って写っている彼の顔に向って華やかに微笑みかけそして、ゆっくりどきながら云った。「まあ、・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・けれども、私共、平の人間、真心を以て人間の生活、真の人生と云うものを掴握しようとする者が、互に生きているこの地上の人として、要求され、渇望される協力に、どうしてすげない拒絶が与えられるだろう。自分に窮乏が迫らない為、無邪気にも余り無知識であ・・・ 宮本百合子 「アワァビット」
出典:青空文庫