・・・ と大爺は大王のごとく、真正面の框に上胡坐になって、ぎろぎろと膚をみまわす。 とその中を、すらりと抜けて、褄も包ましいが、ちらちらと小刻に、土手へ出て、巨石の其方の隅に、松の根に立った娘がある。……手にも掬ばず、茶碗にも後れて、浸し・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ごらんなさいましという、言葉が道をつけて、隧道を覗かす状に、遥にその真正面へ、ぱっと電燈の光のやや薄赤い、桂井館の大式台が顕れた。 向う歯の金歯が光って、印半纏の番頭が、沓脱の傍にたって、長靴を磨いているのが見える。いや、磨いているので・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ と、きっぱりと、投上げるように、ご新姐が返事をすると、(あああ、銭 と、また途方もない声をして、階子段一杯に、大な男が、褌を真正面に顕われる。続いて、足早に刻んで下りたのは、政治狂の黒い猿股です。ぎしぎしと音がして、青黄色・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・胡麻塩頭で、眉の迫った渋色の真正面を出したのは、苦虫と渾名の古物、但し人の好い漢である。「へい。」 とただ云ったばかり、素気なく口を引結んで、真直に立っている。「おお、源助か。」 その職員室真中の大卓子、向側の椅子に凭った先・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ が、大犬の勢は衰えません。――勿論、行くあとに行くあとに道が開けます。渦が続いて行く…… 野の中空を、雪の翼を縫って、あの青い火が、蜿々と蛍のように飛んで来ました。 真正面に、凹字形の大な建ものが、真白な大軍艦のように朦朧とし・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・若し戦争について、それを真正面から書いていないにしても、戦争に対する作家の態度は、注意して見れば一句一節の中にも、はっきりと伺うことがある。それをも調べて、その作家が誰れの味方であったかを、はっきりして置くのは必要である。 従来、それら・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・サア、まことの糟糠の妻たる夫思いの細君はついに堪えかねて、真正面から、「あなたは今日はどうかなさったの。」と逼って訊いた。「どうもしない。」「だって。……わたしの事?」「ナーニ。」「それならお勤先の事?」「ウウ、・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・を決めるのに慎重な態度を取りながら、やがて、 「旦那、竿は一本にして、みよしの真正面へ巧く振込んで下さい」と申しました。これはその壺以外は、左右も前面も、恐ろしいカカリであることを語っているのです。客は合点して、「あいよ」とその言葉通り・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・ところでこの男がまた真剣白刃取りを奉書の紙一枚で遣付けようという男だったから、これは怪しからん、模本贋物を御渡しになるとは、と真正面からこちらの理屈の木刀を揮って先方の毒悪の真剣と切結ぶような不利なことをする者ではなかった。何でもない顔をし・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・そして又真正面から見た「にッたり」の木彫に出会って、これが自分で捌き得る人物だろうかと、大に疑懼の念を抱かざるを得なくなり、又今更に艱苦にぶつかったのであった。 主人の憤怒はやや薄らいだらしいが、激情が退くと同時に冷透の批評の湧・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
出典:青空文庫