・・・が、やがて大隅君のあの鬱然たる風格の要因にさえなった様子であったが、思いやりの深い山田勇吉君は、或る時、見かねて、松葉を束にしてそれでもって禿げた部分をつついて刺戟すると毛髪が再生して来るそうです、と真顔で進言して、かえって大隅君にぎょろり・・・ 太宰治 「佳日」
・・・あげくの果には、私の大事な新芽を、気が狂ったみたいに、ちょんちょん摘み切ってしまって、うむ、これでどうやら、なんて真顔で言って澄ましているのよ。私は、苦笑したわ。あたまが悪いのだから、仕方がないのね。あの時、新芽をあんなに切られなかったら、・・・ 太宰治 「失敗園」
・・・たいな、とんでもない嘘を言い出しましてな、男は、つらいものですね、ながねん連れ添うて来た婆にまで、何かと苦しく見栄張らなければいけないのですからね、わたくしたちに、それはくわしく細々とその金の山のこと真顔になって教えるのです。嘘とわかってい・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・そのうちに主人が私に絵をかく事をすすめて、私は主人を信じていますので、中泉さんのアトリエに通う事になりましたが、たちまち皆さんの熱狂的な賞讃の的になり、はじめは私もただ当惑いたしましたが、主人まで真顔になって、お前は天才かも知れぬなどと申し・・・ 太宰治 「水仙」
・・・鬚がそよそよと伸びるのが肉眼でも判るほどだから、と真顔で教えたら、だまってしゃがんで僕の顎を皿のようなおおきい眼でじっと見つめるじゃないか。おどろいたね。君、無智ゆえに信じるのか、それとも利発ゆえに信じるのか。ひとつ、信じるという題目で小説・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・は、きょときょと顔を出し、おまわりは苦笑しながら、どろぼうではない、と言って私を前面に押し出しましたら、婆はけげんな顔をして、これは誰ですか、こんな男は存じません、お前は知っているか、と娘に尋ね、娘も真顔で、とにかくあたしたちの家の者ではあ・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・しては、すぐ醒めるたちなので、その時の興奮も、ひとつきくらいつづいて、あとは、けろりとしていましたが、柏木の叔父さんだけは、醒めるどころか、こんどは、いよいよ本気に和子を小説家にしようと決心した、とか真顔でおっしゃって、和子は結局は、小説家・・・ 太宰治 「千代女」
・・・ と三吉が、真顔でこたえ、嫁さんがまたふきだすと、三吉も一緒にわらった。 嫁にきて間がない深水の細君は、眼も、口も、鼻も、そろって小さく、まるい顔して、ころころにふとっていた。何畳だか、一間きりの家の中はよくかたづいていて、あたらし・・・ 徳永直 「白い道」
・・・と真顔でいった。彼等は、往来を見ながらそこの小さい店で紅茶とサンドウィッチを食べた。 二 陽子が、すっかり荷物を持って鎌倉へ立ったのは、雪が降った次の日であった。春らしい柔かい雪が細い別荘の裏通りを埋め、母・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・ 友達は真顔になって、「いつ出来たの?」ときいた。「いつだか。――何年かの間にいつの間にか出来ちゃった。変でしょう? 三つもこんな魚の目みたいなものが拇指にばっかり出来るなんて……」「拇指に出来ると、親に死に別れるって云・・・ 宮本百合子 「鼠と鳩麦」
出典:青空文庫