・・・それは、しかし、無限の生命に眩惑されるためではなかった。私は深い絶望をまのあたりに見なければならなかったのである。何という錯誤だろう! 私は物体が二つに見える酔っ払いのように、同じ現実から二つの表象を見なければならなかったのだ。しかもその一・・・ 梶井基次郎 「筧の話」
・・・しかしわれわれはそれに眩惑されてはならぬ。幸福主義は決して道徳の究竟ではない。依然として第二義的の価値である。何が幸福かと問うとき、幸福の質を認めねばならず、かかる質的のものは幸福そのものの中からは導き出せない。「最大多数の最大幸福」は、ニ・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・ことにこの小説の末尾には、毛をむしられた鶴のばさばさした羽ばたきの音を描写しているのであるが、作者は或いはこの描写に依って、読者に完璧の印象を与え、傑作の眩惑を感じさせようとしたらしいが、私たちは、ただ、この畸形的な鶴の醜さに顔をそむける許・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・まさか、それほどでもないけれど、どうせ私は、おいしい御馳走なんて作れないのだから、せめて、ていさいだけでも美しくして、お客様を眩惑させて、ごまかしてしまうのだ。料理は、見かけが第一である。たいてい、それで、ごまかせます。けれども、このロココ・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・それで課長殿が窓際へ行って信号の出処を見届けようとしても、光束が眼を外れると鏡は見えなくなり、眼に当れば眩惑されるので、もしも相手が身体を物蔭に隠して頭と手先だけ出してでもいればなかなか容易に正体を見届けることは困難であろうと想像される。そ・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・しかし用紙を一ぺんしわくちゃにして延ばしておいてかいたらしいあの技術にどれだけ眩惑された結果であるかまだよくわからない。ともかくもこの人の絵にはいつもあたまが働いているだけは確かである。頭のない空疎な絵ばかりの中ではどうしても目に立つ。・・・ 寺田寅彦 「昭和二年の二科会と美術院」
・・・ いわゆるスモークボールを飛ばして打者を眩惑する名投手グローブの投球の秘術もやはり主として手首にあるという説を近ごろある人から聞いた。真偽は別として、それは力学的にもきわめて理解しやすいことだと思われる。 中学時代に少しばかり居合い・・・ 寺田寅彦 「「手首」の問題」
・・・族も頻りに都会の地に往来してその風俗に慣れ、その物品を携えて帰り、中津へ移住する江戸の定府藩士は妻子と共に大都会の軽便流を田舎藩地の中心に排列するの勢なれば、すでに惰弱なる田舎の士族は、あたかもこれに眩惑して、ますます華美軽薄の風に移り、お・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・現代のインテリゲンツィア作家は、自分が現実にどういう反応を示しているかということについて、自身の才気の身振りや、饒舌の自己催眠に眩惑されないだけの神経の勁さと真摯な探求心を求められていると思う。 本年三月号の『文芸』で森山啓氏と伊藤整氏・・・ 宮本百合子 「数言の補足」
・・・ソヴェト作家シーモノフは、このアメリカの巨大な有機体のなかに入って、自身の社会主義的自覚を、自身の人間的内在性すべての亢奮をとおし、自然発生の諸眩惑と誘惑とをとおして、対決させないわけにはゆかない。自身の理性の最大を働かすだけの刺戟をうける・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
出典:青空文庫