・・・ 日本人は腕を組んだまま、婆さんの顔を睨み返しました。「そうです」「じゃ私の用なぞは、聞かなくてもわかっているじゃないか? 私も一つお前さんの占いを見て貰いにやって来たんだ」「何を見て上げるんですえ?」 婆さんは益疑わし・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・が、お絹はすぐに居ずまいを直すと、ちらりと賢造の顔を睨みながら、「お母さんの病気だってそうじゃないの? いつか私がそう云った時に、御医者様を取り換えていさえすりゃ、きっとこんな事にゃなりゃしないわ。それをお父さんがまた煮え切らないで、―・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・現に本宅の御新造が、不意に横網へ御出でなすった時でも、私が御使いから帰って見ると、こちらの御新造は御玄関先へ、ぼんやりとただ坐っていらっしゃる、――それを眼鏡越しに睨みながら、あちらの御新造はまた上ろうともなさらず、悪丁寧な嫌味のありったけ・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・ と、どこから登って来たか、爛々と眼を光らせた虎が一匹、忽然と岩の上に躍り上って、杜子春の姿を睨みながら、一声高く哮りました。のみならずそれと同時に、頭の上の松の枝が、烈しくざわざわ揺れたと思うと、後の絶壁の頂からは、四斗樽程の白蛇が一・・・ 芥川竜之介 「杜子春」
・・・ 帳場と呼ばれた男はその事なら飲み込めたという風に、時々上眼で睨み睨み、色々な事を彼れに聞き糺した。そして帳場机の中から、美濃紙に細々と活字を刷った書類を出して、それに広岡仁右衛門という彼れの名と生れ故郷とを記入して、よく読んでから判を・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・肉の眼で恐ろしい夢でも見るように、産婦はかっと瞼を開いて、あてどもなく一所を睨みながら、苦しげというより、恐ろしげに顔をゆがめた。そして私の上体を自分の胸の上にたくし込んで、背中を羽がいに抱きすくめた。若し私が産婦と同じ程度にいきんでいなか・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ 小児が社殿に遊ぶ時、摺違って通っても、じろりと一睨みをくれるばかり。威あって容易く口を利かぬ。それを可恐くは思わぬが、この社司の一子に、時丸と云うのがあって、おなじ悪戯盛であるから、ある時、大勢が軍ごっこの、番に当って、一子時丸が馬に・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ さて、その事を話し出すと、それ、案の定、天井睨みの上睡りで、ト先ず空惚けて、漸と気が付いた顔色で、「はあ、あの江戸絵かね、十六、七年、やがて二昔、久しいもんでさ、あったっけかな。」 と聞きも敢えず……「ないはずはないじゃな・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ と、あとを口こごとで、空を睨みながら、枝をざらざらと潜って行く。 境は、しかし、あとの窓を閉めなかった。もちろん、ごく細目には引いたが。――実は、雪の池のここへ来て幾羽の鷺の、魚を狩る状を、さながら、炬燵で見るお伽話の絵のように思・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・これが、その晴やかな大笑の笑声に驚いたように立留って、廂睨みに、女を見ている。 何を笑う、教授はまた……これはこの陽気に外套を着たのが可笑いのであろうと思った……言うまでもない。――途中でな、誰を見ても、若いものにも、老人にも、外套を着・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
出典:青空文庫