・・・ 四 あくまで無礼な、人を人とも思わぬかの東条という奴、と酔醒めの水を一息に仰飲って、辰弥は独りわが部屋に、眼を光らして一方を睨みつつ、全体おれを何と思っているのだ。口でこそそれとは言わんが、明らかにおれを凌辱した。・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・さよさんのとこへ遊びに来るのも内証なんだからと小声で言いましたら、いきなり私を突き離して、なぜ内証で来るの、修さんと私と遊んじゃア悪いの、悪いのならもう来なくってもようござんすよと、こわい顔をして私を睨みつけたのでございます。私は慄るい上っ・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・日蓮は「天の御気色を拝見し奉るに、以ての外に此の国を睨みさせ給ふか。今年は一定寄せぬと覚ふ」と大胆にいいきった。平ノ左衛門尉はさすがに一言も発せず、不興の面持であった。 しかるに果して十月にこの予言は的中したのであった。 彼はこの断・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・人々は、いまじゃ弘法大師もさっぱり睨みがきかなくなったと云って罰のバチがあたることを殆んど信じなくなっている。 黒島伝治 「海賊と遍路」
・・・こちらも、攻撃の時期と口実をねらって相手を睨みつゞけた。 十一月十八日、その彼等の部隊は、東支鉄道を踏み越してチチハル城に入城した。昂鉄道は完全に××した。そして、ソヴェート同盟の国境にむかっての陣地を拡げた。これは、もう、人の知る通り・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・これも驚いて仰反って倒れんばかりにはなったが、辛く踏止まって、そして踏止まると共に其姿勢で、立ったまま男を憎悪と憤怒との眼で睨み下した。悍しい、峻しい、冷たい、氷の欠片のような厳しい光の眼であった。しかし美しいことは美しい、――悪の美しさの・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・と大声で叫んで立ち上り、けもののような醜いまずい表情をして私を睨み、「あてにならねえ。非常時だに。」と言いました。私は肝のつぶれるほどに驚倒し、それから、不愉快になりました。「自惚れちゃいけない。誰が君なんかに本気で恋をするものか。」と私も・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・ 三 黄は睨み朱は吼える、プルシアンブルーはうめく。鏝で勢いよくきゅうとなでて、ちりちりぱっとくくりをつけて、パイプをくわえて考え込んで、モンパリー、チッペラリー、ラタヽパン。そこでノアルで細筆のフランス文字・・・ 寺田寅彦 「二科狂想行進曲」
・・・ 押詰められて、じじむさい襟巻した金貸らしい爺が不満らしく横目に睨みかえしたが、真白な女の襟元に、文句はいえず、押し敷かれた古臭い二重廻しの翼を、だいじそうに引取りながら、順送りに席を居ざった。赤いてがらは腰をかけ、両袖と福紗包を膝の上・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・藪睨みは藪睨みで、どうしても横ばかり見ている。これはインデペンデントの方の分子を余計有っている人である。だからこういう人というものは寔に厄介なもので、世の中の人と歩調を共にすることは出来ない。おい君湯に行こう、僕は水を被る、君散歩に行かない・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
出典:青空文庫