・・・のみならず時々は先手を打ってKの鋒先を挫きなどした。「革命とはつまり社会的なメンスツラチオンと云うことだね。……」 彼は翌年の七月には岡山の六高へ入学した。それからかれこれ半年ばかりは最も彼には幸福だったのであろう。彼は絶えず手紙を・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・これにはさすがに片意地な恵門も、少しは鋒を挫かれたのか、眩しそうな瞬きを一つすると、『ははあ、そのような高札が建ちましたか。』と気のない声で云い捨てながら、またてくてくと歩き出しましたが、今度は鉢の開いた頭を傾けて、何やら考えて行くらしいの・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・擁護を叫ぶ熱弁、若くは建板に水を流すようにあるいは油紙に火を点けたようにペラペラ喋べり立てる達弁ではなかったが、丁度甲州流の戦法のように隙間なく槍の穂尖を揃えてジリジリと平押しに押寄せるというような論鋒は頗る目鮮ましかった。加うるに肺腑を突・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・という手段を脳裡に浮べたに違いない。「毛布は、よせよ」「ケチだなあ、お前は」 とさらにしつこく、ねばろうとしていた時に、女房はお膳を運んで来た。「やあ、奥さん」と矛先は、そちらに転じて、「手数をかけるなあ。食うものなんか何も・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・頭を低くたれて、あの大きな二本の角を振り舞わすところは、ちょっと薙刀でも使っているような趣がある。鋒先の後方へ向いた角では、ちょっと見るとぐあいが悪そうであるが、敵が自分の首筋をねらって来る場合にはかえってこのほうが有利であるかもしれない。・・・ 寺田寅彦 「映画「マルガ」に現われた動物の闘争」
・・・ 鉄腸居士を父とし、天台道士を師とし、木堂翁に私淑していたかと思われる末広君には一面気鋒の鋭い点があり痛烈な皮肉もあった。若い時分には、曲ったこと、間違ったことと思う場合はなかなか烈しく喰ってかかることもあったが、弱いものにはいつもやさ・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・たまたま一陣の風吹いて、逆に舌先を払えば、左へ行くべき鋒を転じて上に向う。旋る風なれば後ろより不意を襲う事もある。順に撫でてを馳け抜ける時は上に向えるが又向き直りて行き過ぎし風を追う。左へ左へと溶けたる舌は見る間に長くなり、又広くなる。果は・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・り私学校を保護するに、かねて、学者の篤志なるものを撰び、これに年金をあたえて、その生涯安身の地位を得せしめたらば、おのずから我が学問社会の面目を改めて、日新の西洋諸国に並立し、日本国の学権を拡張して、鋒を海外に争うの勢にいたるべきなり。・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・然るに今この家においては斯る盛大なる国教もその力を伸ぶること能わずして、戸外の公務なるものに逢えば忽ちその鋒を挫き、質素倹約も顧みるに遑あらず、飲酒不養生も論ずるに余地なく、一家内の安全は挙げてこれを公務に捧げ、遂には人間最大一の心得たる真・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・にして論を立てたるものにして、今の婦人の有様を憐れみ、何とかして少しにてもその地位の高まるようにと思う一片の婆心より筆を下したるが故に、その筆法は常に婦人の気を引き立つるの勢いを催して、男子の方に筆の鋒の向かわざりしは些と不都合にして、これ・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫