・・・――そうまた父の論理の矛盾を嘲笑う気もちもないではなかった。「お絹は今日は来ないのかい?」 賢造はすぐに気を変えて云った。「来るそうです。が、とにかく戸沢さんが来たら、電話をかけてくれって云っていました。」「お絹の所でも大変・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・「それは矛盾しているじゃないか? 君は美代ちゃんを愛しても善い、美代ちゃんは他人を愛してはならん、――そんな理窟はありはしないよ。ただ君の気もちとしてならば、それはまた別問題だけれども。」 彼は明かに不快らしかった。が、僕の言葉には・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・ マルクスの主張が詮じつめるとここにありとすれば、私が彼のこの点の主張に同意するのは不思議のないことであって、私の自己衝動の考え方となんら矛盾するものではない。生活から環境に働きかけていく場合、すべての人は意識的であると、無意識的である・・・ 有島武郎 「想片」
・・・ところがこの論理の不徹底な、矛盾に満ちた、そして椏者の言葉のように、言うべきものを言い残したり、言うべからざるものを言い加えたりした一文が、存外に人々の注意を牽いて、いろいろの批評や駁撃に遇うことになった。その僕の感想文というのは、階級意識・・・ 有島武郎 「片信」
・・・けだし我々がいちがいに自然主義という名の下に呼んできたところの思潮には、最初からしていくたの矛盾が雑然として混在していたにかかわらず、今日までまだ何らの厳密なる検覈がそれに対して加えられずにいるのである。彼らの両方――いわゆる自然主義者もま・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・自己を軽蔑する人、地から足を離している人が、人生について考えるというそれ自体が既に矛盾であり、滑稽であり、かつ悲惨である。我々は何をそういう人々から聞き得るであろうか。安価なる告白とか、空想上の懐疑とかいう批評のある所以である。 田中喜・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・一方にはそんなしおらしいことを言って、また一方では偽筆を書く、僕のその時の矛盾は――あとから見れば――はなはだしいもので、もう、ほとんど全く目が暗んでいたのだろう。 吉弥は、自分に取っては、最も多くの世話を受けている青木をも、あたまから・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・二十八年の長きにわたって当初の立案通りの過程を追って脚色の上に少しも矛盾撞着を生ぜしめなかったのは稀に見る例で、作者の頭脳の明澄透徹を証拠立てる。殊に視力を失って単なる記憶に頼るほかなくなってからでも毫も混錯しないで、一々個々の筋道を分けて・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・ こうした根本の性格矛盾が始終二葉亭の足蹟に累を成していた。最一つ二葉亭は洞察が余り鋭ど過ぎた、というよりも総てのものを畸形的立体式に、あるいは彎曲的螺旋式に見なければ気が済まない詩人哲学者通有の痼癖があった。尤もこういう痼癖がしばしば・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・それから色々な秘密らしい口供をしたりまたわざと矛盾する口供をしたりして、予審を二三週間長引かせた。その口供が故意にしたのであったという事は、後になって分かった。 ある夕方女房は檻房の床の上に倒れて死んでいた。それを見附けて、女の押丁が抱・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
出典:青空文庫